上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
私は古代史の考察に行き詰まり、現在の政治状況に落胆していて、精神的には衰退していたと言えます。

古代史は広く、深い。先人の考察の軌跡も深く広きに渡っている。そこで、遅れすぎた老人が大海の中に小船を漕ぎ出した感のある無謀な企みは行為である。諦めて余生を送り、異なった視点で、例えば戦後史は私の家庭史でもあるのだから、具体的な主張を書き連ねていればそうは、苦労はしないだろう。

しかし、私はどちらかと言うと、愚かな性格で気にかかることがあると無謀にも避けて通ることが出来ない。愚かを承知でせめて、「神武東征」を私なりに解明しようと歩みだしたわけである。

その五年間の蓄積が漸く、大まかな構成が見えてきた。

新天皇の継承儀式は「大嘗祭」出雲国造就任儀式は「火継ぎの神事」であろう。
この神事の形態は、どちらかと言うと「火継ぎの神事」の方が古式を伝えていると言える。縄文文化の始まりは、やはり土器な発明であろう。「火」との関わりが定住を促したことは疑う余地はないだろう。文化の発生はそこから出発する。

その「火」は火山の溶岩か神鳴り(雷)の落雷が直接的な体験が底にあるのは言うまでもありません。「日」はその後の派生(抽象化)だと考えられます。
そう考えると、縄文時代からの伝承は、出雲の方が古いような気がします。神在祭もそうだが、出雲こそがその統括の拠点として先住民族が君臨していたと考えられます。対馬海流(黒潮の分流)や地域的な特性から、種々な種族の坩堝にあったのがその大きな要因でしょう。

天孫降臨神話はよく考えられた(いや、伝承の結果・史実か)伝承であると言えます。天孫族は南九州(ニニギ)、北九州(ニギハヤヒ)、出雲(天穂日命)と高天原から天降らせています。それが結実したのが神日本磐余彦天皇(神武帝)で、覇権が確実に成ったのが天智天皇である。

私は本格的に古代史に参入したのは五年足らずですから、浅学の謗りを免れませんが、大まかな構成は出来たと考えています。後は、それを考証する根拠が必要でしょう。江南の倭、朝鮮南部の倭、南北九州の倭、吉備・出雲そして、大和(倭)の考証こそ、古代日本の形成に核となる要素であるといえるでしょう。

気の遠くなる旅ですが、素描は出来上がりました。後はつき進めるより仕方がないでしょう。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/tb.php/589-d8299273
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。