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2011.05.10 初心に帰って
私は大きな流れとして「倭」を設定し、苗族をその支柱に据え百越を生み、派生して呉越に行き、江南の倭、朝鮮半島南部の倭、南北九州の倭、さらに東南アジアを含めて倭の種族の領域と考えた。
江南の倭族は黒潮の流れに乗って、北九州に着いて現住民族と融合したのが安曇族、南九州に渡来し隼人(曽於族とした方が正しいのかもしれない)と混血したのが隼人(安曇系隼人族)と理解し、その仮説に則り古代の歴史を進行してきました。
大筋でこの仮説に間違いはないと思っています。しかし、以前にも申しましたように、南九州に渡来した王族の伝承から安曇氏の軌跡が消えます。
「記・紀」の神話、天孫降臨は日向の襲(曽・そ)からニニギ命は野間半島の笠沙で神阿田鹿葦津姫と遇い、血縁を結びます。この神話から、私は江南(呉の貴人と仮説します)の安曇族の長と阿多族(記・紀では大山祇神は神田鹿葦津姫の父親としている)の姫・彦政治集団であると言って差し支えないと思っています。日向三代を経て、神武東征となるのはご存知の通りです。私はこれを南九州王朝となずけました。この日向三代と安曇氏(隼人系)の論拠の文献が見つかりません。ここで足踏みしております。残念ですが地道に進行させるより仕方がないでしょう。


勿論、北九州に朝鮮から渡来した倭族が地元の先住民と融合して北九州王朝を築き、大和へ進出して一つの大きな勢力を持ったのも事実でしょう。現に七・八世紀には天智天皇から聖武天皇までは規制の事実なのです。
ただ、七世紀までに南九州王朝とどのようにして交代したかの合理的な説明は未だなされていないのも事実ですこの解明もまた必要だと思われます。
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