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私は色即是空、空即是色という言葉に真如を視ます。それこそ私の心ではないかと思います。その世界にマナの真髄が存在しているのではないでしょうか。

マナとは、神や超自然的な力を自らの中に取り入れることだと言えます。ニュウギニアの食肉人種は殺した勇者を食すると言います。つまり、マナ行為でしょう。私はキリスト教の信者ではないので、皮相な知識しかありませんが、キリスト教の洗礼でぶどう酒とパンを食べますが、考えてみれば奇妙な儀式で、キリストの血と肉を食べることになります。この統一感がマナの極みなのでしょう。

沖縄の民族学者・伊波普ゆうは「琉球の民俗」でこう述べています。

「昔は死人があると、親類縁者が集まって、その肉を食った。後になって、この風習を改めて、人肉の代わりに豚肉を食うようになったのが、今日でも近い親類のことを真肉親類といい、遠い親類を脂肪親類と云うのはこう云う処からきた。」

また、礫川全次は「人食いの民俗学」の記述は次のようなものである。

「隋の時代では、部落全体のものが死人の肉を食する風習、即ち「部落肉食人俗」が行われていたのが、後世になって、親類だけが死人を食するように制限され、更にその後に到りて、人肉の代わりに豚肉を食することに改たまったのである。
死者に対する神聖の義務的任務・・・・死人が冷たい地中に埋めたり、猛獣の餌になるより、自らの暖かい腹に納める方が死人に良いとする心からである。

これは明らかにマナ行為である。

ニュウギニア・アリンド・アニム族のマヨ儀式はもう少し残酷で儀式的である。

マヨ儀式の最後は、「殺人者としての父」の登場により最高潮に達する。「殺人者の父」を演ずる者は、特有な武器を持っている。これは祭儀の用具として使われるが、また、マヨの娘として指定された少女を殺すために使われる。犠牲者の少女、マヨの娘は藪の中に連れて行かれ、祭りに参加した全ての男達によって生殖行為をされた後に殺される。そして、その体は食べられてしまう。少女の骨はココヤシの傍に埋められ、少女の血はココヤシの樹に赤く塗られる。生殖の力を得た少女の血はココヤシの果樹の豊かな実りを齎すとされており、この大規模なマヨの祭りの間に神話のあらゆる細目が演劇的に実行される。
これも「ハイヌウェレ型神話」の実例だろう。

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