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天孫降臨が日向の高千穂の曾(襲)から笠沙にいたり、そこで吾田鹿葦津姫を事勝国勝長狭(塩土老爺)に教えられて娶る。

私はこの行程が以前から不自然に思えてならなかった。後年、神武天皇が大和へ東征するなら、ニニギ命は志布志湾の付近に居住し、安定的にそこで勢力を温存すればいいのではないかと考えざるを得なかった。志布志湾への進行のほうが多くの配下を抱えて苦労は少なかったと思われる。今と違って当時は先住民や機動力も人力で歩くより方法を持たなかったのだから、近くの海辺の方が選択肢として有力を考えるのが自然だろう。それが天孫降臨ではわざわざ遠くの笠沙を選んでいる。

「古事記」や「日本書紀」の神代の神話が創作に近いものがあると言う説が根強い。だが、そうなるとその創作は二流の書き手が作り上げたと言わざるを得ない。それは初期の神話にはかなりの無理が書かれているからだ。

一方、これらの神話には伝承や史実が横たわっていると言う説も存在する。伝承については、文字を持たなかった和人(倭・縄文人その一部は曾族)は、はっきりとした証拠としての文献を残してはいません。彼等は現代人とは異なり、動物的な記憶力や勘を持ち合わせていたはずです。それは本能に赴く動物達が驚異的な親から子へとの伝達が見えるからです。

私は「古事記」の序文(後世の付会とされています)にある稗田阿礼についての記述に注目します。

「人と為り聡明にして、日に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳に払(ふ)れれば心に勒(しる)す。即ち阿礼に勅語して、帝皇の日継と先代の旧辞とを誦み習はしたまひき」

シシリ~の苗族の長で呪術者の資格は、正確な記憶による過去の正確な記憶をあんじなければその資格はないという。それは常人が思い浮かぶ範囲の記憶量ではない。多分、私達が百科事典と呼ぶに匹敵する記憶力と伝達力であったと思われる。
後年、治部省が、姓氏・継嗣・婚姻・葬礼・外交の事務や君主の徳とそれを出現するし祥瑞の管理を行っている。(ここには伝統的な伝承があったはずである)

私はこのような事項を古代の文字を持たない伝承者(巫女・呪術者・先住の古老など)の特殊能力を持った驚異的な百科人種が存在したと想像する。

ここに縄文人が幾万の命を失った火山などの大爆発を考古学が顕示する。
1薩摩大爆発(BO15000年)
2桜島大爆発(BC9500年)
3喜界カルデラ大爆発(BC6400年アカホヤ火山層)
これは南九州を壊滅に陥らせて火山活動の実態である。喜界カルデラは北九州は言うに及ばず、遠く東北地方までその噴煙が降り注いだと言う。

鹿児島の先住民は1、2、の大天災を乗り越えてきたことを証明している。ある学者は喜界カルデラ噴火で薩摩は壊滅したと報じるが、私は人類とはそんなに「やわ」な生き物ではないと理解している。特に、南九州は海人の活躍する地域でもあり、それ相応の火山に対する知恵(祖先からの伝承も含めて)丸木船を有効に使い、火山に対する避難の術を知っていたと思うからである。(長崎県の火山爆発時に飼い犬が生存していた事実があり、その犬が如何して過酷な状況を回避したかは未だ謎です)

私はこのような遠い過去の事件を古代人は生き抜く術として、伝承していたと信じている。(今は証明する文献も伝承、考古資料もないが)

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