上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
私は土偶のハイヌウェレ神話・食物起源論を理解は出来るが、何か漠然として不明な部分を感じる。心底から理解していないもどかしさを覚える。
頭では解るが何故か心にしこりが残るのである。

土偶は特殊な製作方法で、バラバラにされるように創られているが、ハイヌウェレ神話の食物起源説話に続がり、大気津姫や保食神へと伝承される一連の伝承はよく出来る。タロイモやヤムイモの起源が創造主の地母神であるハイヌウェレが女性であり、神から与えられた出産の延長が生命の源である食料神話に転化するのは、それはそれなりに理解に行き着く。

しかし、それは転化以外の何ものではない。転化は転化であり、真理そのものではないのだ。
その溝は深い。その深淵こそ真実だと思うが、その奈落は視ることが不可能であるに違いないだろう。

ただ、私達が日常行っている強壮剤と称して飲食している蛇や蝮の強力な生命力を自分の体内に取り入れようとする根源的な願望を体験している。それはこのハイヌウェレ神話の仮託を通俗的に体験しようとする試みであろう。

私はかつて、D・T・マックスの「眠れない一族」(副題・食人の痕跡と殺人タンパク質の謎)で食人後遺症的遺伝を知ることになる。
かつて、食人の記憶は超人を望み、それを直接的に取り込むマナ行為に行き着いた。それは茫洋として横たわる神秘のカオスを、混沌を混沌のまま取り入れようとする根源的な欲求の現れだと理解する。

ハイヌウェレが、仮託として彼女の死体を地中に埋め、その化身としてのヤムイモやタロイモを人間が食べると言う生きる源を見つめる神話に私は人間的な理性を見るのだが、結局、私達は未だ、その信仰に当たる領域にしか到達していないのを知るばかりである。
深淵はやはり、深淵のまま横たわり、沈黙を守っている。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/tb.php/598-9608f000
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。