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これは「神話力」の一文章である。

「・・・(神武天皇は)各地を回って行く。どこの宮に何年、またどこの宮に何年という具合に年数を掛けながら、やっと瀬戸内海を通過して、日下の蓼津を越えて大和へ入ろうとすると、登美毘古という賊がいて入れない。そこで、熊野を回り、吉野を経て大和に入って王者になる。・・・」

当然、中西進師は神武天皇の視点で語るのは主題にそったからであろうが、私は登美毘古(長髄彦)が賊という表現が気になる。もう一つの視点、長髄彦の立場は賊なのかといった視点が欲しい。
元来、長髄彦こそ、大和をまとめた首領ではなかったか。国巣や猾族・磯城族などを統括していた君主なのかもしれないのだ。長期の安定政権の可能性が考えられ、ことによったら名君かもしれないのではないか。(安日彦との兼ね合いから、長髄彦は縄文以来の先住民だったともいえる。(<ながすね>は縄文の形態の一つでもある)神武は南九州からの侵略者である視点も成り立つのである。

私は谷川健一師を師と仰いでいるものだが、谷川師にはその視点がうかがれる。中西師に長髄彦についての詳細な記述が知りたいと私は切に思います。
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