上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
中西進氏については全面的に賛成はできないが、私に重要なヒントを与えてくれる。

私は安曇磯良が「八幡愚童訓」で、神功皇后の三韓征伐で住吉大神に神托を祈願する。
すると、大神は安曇磯良を水先案内人にすれば戦に勝てると神言する。
そこで、磯良を召し出すのに、大神に教えられた通りに「せいのう」を舞い、海中に舞台を据えて、舞を奏すると、磯良は首に鼓を懸けて浄衣の舞衣となって亀に乗り、海中より浮かび上がった。しかし、海中に永く住んでいたためにその顔には牡蠣や鮑がびっしりと付き、あまりにも見苦しいので、浄衣を脱ぎで、顔を覆い、頭を垂れて舞いながら浮き上がってきた。

ここでも「せいのう」(青農・細男・才の男)が語られている。一説には、この細男の舞は宮中雅楽の初めだと言われている。又、隼人征伐の際に「細男舞」に釣られて隼人が顔を現した時に皆殺しにあったと伝承している。

折口信夫は「細男」について宗教的には、祖神と精霊の掛け合いが始原だと述べている。
古来、才の男とは、神に対する神もどき(精霊)との掛け合いである。とし、太古のみしゃくじ(御石神)と地母神との掛け合いと述べ、更に猿田彦と天宇受売姫との掛け合いと説き、それは性と生との関りに端を発し創生(豊穣)・護国に発展する。細男舞はその始原状態から発したと言う説もある。

私はそれらの諸説を踏まえて、「細男舞」を思い悩んでいたのであるが、中西進が「演劇というのは一つの模擬行為であるとし、死を死として演じることに意味を持つ」と述べているのを見て、細男舞の、「神と神もどき(精霊)の対話、死と死についての演技の関係に関わることを示唆していることに気付かせてくれた。

宮廷雅舞や神楽の初めは、やはり「神との呪術師に対話」や「死と死の演技との関り」がその根本に横たわっていると理解した方が良いのではないかと、中西進氏の説を見て、私は直感した次第である。
もう少しこの考えは堀り起こさなければならないだろうが、一先ず行程は定まったような気がする。

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/tb.php/608-9a6b0384
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。