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大隅国風土記・串トの郷の条(くだり)と景行紀の「熊襲タケル」または別称「取石鹿文(とりしかや)」を調べていて、薩摩が三度の火山の大爆発から再生を果たしていることと無関係ではないと思った。

BC15000年は薩摩大爆発、BC9500年は桜島大爆発、BC6400年は鬼界カルデラ爆発と三度も国土を壊滅状態にみまわれ、再三そこから復興している。
それは驚異的な再生能力である。人間もそうだが、自然界の動物や植物・樹木もまた、それと相関関係にあると言える。

薩摩の地は、大自然の脅威を乗り越える再生能力を秘めていると言える。

串トは「クシラ」と読み、奇しの郷(くしのさと)、驚異的な郷と言う意味とされているが、それは大自然の脅威を乗り越えた熊曾族の居住した地(くに)という意味であろう。

又、景行紀の取石鹿文(とりしかや)であるが、その「鹿文(かや)」を大林太良師はインドネシア語系の「かや」を<呪術と資産を有する>と言う意味として言う。熊曾をその傍系と説いている。そして、「曾県(そのあがた)」も呪術的な司祭的種族の系譜と考えていた。

私はそれを全面的に信じるものではないが、薩摩の地、特に野間半島が黒潮の漂着地でもあり、南方種族が上陸していたとしても不思議ではない。その交流は可能性として色濃く、薩摩熊曾族の強力な生命力が呪術的能力(神降ろしなど)に優れている要素と同化したともいえる。

「隼人舞」や「海幸・山幸説話」は大和朝廷への服属儀礼として伝承されているが、その底流には、曾族の持つ「神降ろし」の術や呪術能力が資質としてあったからであると私は考えている。

隼人(曾族の末裔)の氏族には曾婆加理くらいしか見られないが、曾婆加理の「加理(かり)」は「鹿文(かや)」と同列であろう。ソバカリもまた、呪術的能力を持った種族が貶められた例であろう。

大和における「隼人」は犬の遠吠えに見られるように、明らかに呪術者として表示されている。

熊曾族は薩摩において、究極の大災害を乗り越えその生命力を内に秘めた呪術的能力を持ち、その能力で薩摩を統治してきたのであろう。大隅の上野原遺跡の文化の高い種族は定住や高度の思考性、土偶や耳飾り謎の玩具などから推し量って呪術者の存在は明らかである。

私は先住曾族こそ薩摩の呪術的民族であると考える。そこに南からやってきた海人族と融合したのが初期南九州王朝であると推察することは、強ち無理な推論とはいえないような気がする。
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