上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
種子島・中種子町・熊毛郡納棺・大薗遺跡では東北地方の縄文晩期の大洞(おおぼら)式土器が出土している。上村俊雄は大洞式土器(亀ヶ岡)が「2000年前に海を越えて薩南諸島にもたらせても不思議はない」と述べている。

薩南諸島はかこいノ原・丸ノミ式石斧文化圏に属し、、丸木船がBC10000年前に造られていたと思われ、当然、交易の可能性は考えられる。

去年、兵庫県沖で岩手県の釣り船が発見されている。これは二年前の3・11の東日本大震災際、流された舟である。それはリマン寒流が大陸沿いに南流し、最後に東シナ海沖で黒潮(対馬海流)と合流して、逆流した形で日本海に到達したと思われる。(海上保安庁は黒潮の逆流で太平洋を大きく迂回して、やはり東シナ海で黒潮に合流した見解を取っている。考えられなくはないが、これは少々無理がある)
つまり、まず順流で対馬海流に乗って東北へ航海し、リマン寒流を利用して帰還した可能性は現実的であろう。

私は、縄文時代から丸木船による航海が可能であると考えられ、交易は困難な航海ではあったろうが行われていたと、推察している。
薩摩・野間半島の加世田市は太古より南方諸島(フィリピン、ポリネシア)、中国江南などの到着点であり、異文化の交流が行わがれた可能性が考えられる。出雲が南方、新羅、高志などとの交流があったのは史実であり、特にセグロ海蛇が祭祀の供物であったことも傍証としては、加世田(笠沙)が航海と交易の出発点であるのはありえることであろう。

日本列島の南と北の交流は縄文時代から、困難を乗り越えて行われていたと考えられると推論することは、古代史を考える上で非常に重要な要素である。この事実を踏まえて、私はこれからの古代史の一つの視点としたい。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/tb.php/611-232db8f2
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。