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日本紀或いは、日本書は、中厳円月(1300~75年)の作と言われる。
円月は禅僧で朱子学者である。円月の主張は「神武天皇は呉の太伯の末」と説く。
円月はそれを実証する為に、商船に乗り九州から江南へ渡り、七年間、江南で呉や越の習俗等を学んだ。しかし、当時の朝廷に受け容れられず、自らその書を焼いたと言う。

しかし、江戸時代の朱子学者・林羅山は彼の「神武天皇論」でこう述べている。
「東山の僧・円月、かつて日本紀を修す。朝儀協(かなわ)ずして果たされず。遂に其の書を焼く。余、ひそかに円月が意(こころ)をおもうに、按(あん)ずる諸書、日本を以て呉の太伯の後と為す。それ、太伯荊蛮に逃れ、断髪・文身し、交龍と共に居る。その子孫、筑紫に来る。思うに必ず時の人、以て神と為さん。これ天孫、日向高千穂の峰に降るの謂か。当時の国人、疑いてこれを拒(ふせ)ぐの或いは、これ有るが、これ大己貴神、順(まつろ)い服せざるの謂か」

私は円月が朱子学の知行統一の論を実行する為に自ら江南にまで実証に行き、呉や越の習俗を検証している。その科学的志向を買う。
滝川政次郎師もまた、九州に着いたのが江南からやって来た安曇氏だと説く。私は呉(呉の意味は白川静師によれば祝寿器を頭に載せ踊りながら神を称えるの意味であると言う)が呪術的な要素が窺える種族だと思う。安曇氏もまた、磯良に代表されるように呪術的な種族だと断じ、ニニギ命は江南からやって来た「呉の貴族」の可能性を探っている。

円月が「神武天皇が太伯の末」と説くのは、ニニギ命がまさしく、呉の人間だと言うことであるから、私は円月や林羅山の論を支持せざるを得ない。初期南九州王朝は江南からやって来た王族で先住民の曾族(朝廷の用語では隼人)と数代、融和を重ね、神日本磐余彦命(神武天皇)の時、大和へ進出したと考えている。
八世紀には天智天皇(私はこの王朝は北九州系だと考えている)が覇権を握って、以来この系統が王朝を持続するおうになった。と推測している。

太伯について、二三の記述を披露しておこうと思う。

宗代「太平御覧」阿・魏志の条
<倭の人々が、自分達は呉の太伯の子孫である>

「魏略」魚カン撰
<倭人に文身の習俗有り、その旧語を聞くに太伯の後裔と自らを言う>

「漢書」・地理志の文意と同趣旨をのせた後で記述する。
<中国の史書は倭の人々が自らの出自について、呉との関係つけて紹介する一方で、倭人の習俗が「越」のそれを同じと言う見解をとっている>・・・夏后少康之子、封於会稽、断髪文身、以避交龍之害。

「周礼」(漢代)には、於越、南越、句呉、駱越、南陽、欧人、目深(ぼくじん)、夜郎等が居たと書かれている。・・・・百越は新石器時代晩期ころから、この地に住み着いたと言われる。(BC5000年)

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