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戦後史のうち、1931年と1935年および32年の5・15事件は重要な年であると私は考えている。

1931年9月18日、奉天郊外柳条湖付近で満鉄線路が爆発された。それは演習中の独立隊と中国軍とが交戦状態になった。つまり、満州事変である。
1935年7月7日、北京郊外の盧溝橋で、日華軍による衝突事件が起こった。世に言う「日華事変」である。
これは関東軍の張作リン暗殺による謀略と蒋介石と日本軍を交戦させる目論見だという説がある。
田中義一総理は、天皇陛下にその処理を速やかに行うように命じられたのを、うやむやにした責任を取り割腹自殺をした。
その当時、天皇を西園寺公望、鈴木貫太郎侍従長、牧野伸顕左大臣が補佐していたが、西園寺が突如天皇に対し田中義一を罷免された行為が憲法違反ではないかと述べ、天皇はそれを受け入れ「以後、君臨するも統治せず」と宣言し、国政に口を直接はさまなくなった。
このことはその後の「御前会議」の天皇の発言を大きく左右することになった。この時、平和論者であった天皇がもう少し発言権をもっていたら、事態はどうなっていたかわからなかった。

この時から、天皇は国会・政府についての発言を抑制するようになる。それは微妙に当時の情勢に影響を齎したと私は考えている。陸軍の勢力の抑制が効かなくなった一因がここにもあったと、推察する。
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