上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
滝川政次郎は江南から黒潮に乗って北九州に着いたのが安曇族で南九州に漂着したのが隼人族だと説き、谷川健一師もその説に賛同しています。しかし、南九州には曾族の後裔である隼人は先住民族だと中村明蔵師は唱え、私も隼人は渡来民族ではなく、先住民族とする説に賛成します。南九州に着いたのも、やはり安曇族なのです。しかし、文献にはその痕跡は見られません。それらしい記述は、ニニギ命を曾(襲)の地から先導して、笠沙に行った久米氏が見られ、そこで大山祇神の娘の吾田鹿葦津姫と出会い血縁します。

笠沙は現在の加世田市で野間半島・隼人の地です。滝川師が安曇族を隼人と混同したのはそこが薩摩で隼人が居住し、ニニギのように隼人の娘と血縁して安曇の名称を消してしまったのではないでしょうか。
明らかに吾田鹿葦津姫(コノハナヤサクヤ姫)は薩摩の海人族・隼人であったようです。
又、大山・・祇・・は「山」と「つむ」二つの意味を持つ神で、山と海を司る神だと言って言いと思います。この先住の頭領もかつて海からやってきた海人族の土着化であったと思われます。(ニニギ命が殺されることなく曾族に受け容れられたのは海人族の交流による情報がゆきとどいていたからでしょう)

私は初期の神話による安曇族の存在を非常に重要視しています。それは隼人の海幸彦伝承とも関りがありますが、久米氏もまた何かしらの伝がりがあるような気がします。(今昔物語・久米の仙人の説話で久米氏と安曇氏は同族か乃至は親しい種族だと記していますし、上加世田遺跡から出土した「久米」の土器片がそれらしい証左しかないのですが)
いずれにせよ。安曇氏と久米氏、隼人の海人族としての交流を確かめなければならないのは確かです。

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/tb.php/624-b850a9e1
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。