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「この印文土器に関連して、貝塚茂樹氏は次ぎのような興味ある事実を述べている。<1954年、中国の江蘇省丹徒県の揚子江の台地で、十数個の青銅器が発見された。その中には周初の中原式の銅器が混じっており、その器の銘文に「宜候矢(そく)が周の康王によって、この地に封じられた」と書いてあるのがあった。かつて呉国は周の二王子の太伯と虞仲が弟の李歴(王李)に王位を譲るために南に奔り、蛮族中に身を投じて建国したと伝承されていたが、この呉国の建国の物語りは、事実とは無縁の説話とみなされてきた。しかし、「二王子ではないが、ともかく周族の有力な貴族が揚子江・江南の宜という植民都市を建てたことは、まぎれのない歴史的事実であった」と貝塚氏はいう。(中国の歴史)こうした発見から倭人の原郷を呉にもとめる伝承、すなわち「魏略」の「倭は自ら太伯の後なりという」とある一句も、従来のように盲説として、退けられるものではなく、より歴史的真実に近ずいたとみなすことが可能である>
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