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安本美典氏の新田神社の新田について、新しい田がその命名だと記述して居られる。
私は、旧郡の高城郡に少し、思惑を持つのだが、安本氏の「新田」説のうち、その地が川内(せんだい)は「かわうち)なのではないかと言う説に非常に興味を持つ。
「新田」が新しい田を作ること、つまり開墾を意味するとすれば、そこに従来の農耕技術が投入され、文化革命がなされたと考えることもできる。それは、開墾とつき物の金属器による技術革新を意味しないだろうか。そして、開墾技術はその先で、築城技術や武器開発の軍事技術の開発に繋がる。そこに後の新田八幡宮の意味も解明されるような気がする。

推測を逞しくすれば、長江中・下流域の渡来民族の金属文化を薩摩の先住民族が受け入れ、新たな融合の結果、新しい勢力が生まれたと考えることは可能だと私は考えます。
その観点から、少し考察を進めようと思う。
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