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思考法として「垂直思考」と「水平思考」とある。

神話について、「垂直思考」とは真実や象徴を表し、「水平思考」としては歴史や事実を現していると言える。
ニニギ命の降臨は<曾・襲>に降りたわけだが、それは象徴としての<曾>(古事記の表示・私はこの表示は正しいと考える)は<むかし>と読み、白川静氏によると<曾>は甑に通じると述べている。

<曾>は大隅(桑原郡)周辺を言う。その地域にはBC13000年の「上野原遺跡」が発見されている。この遺跡には集積遺構・連結穴坑・丸型平底土器・竪穴住居・大壺・石皿・石匙・敲石・土偶・耳飾・異型土器などが出土している。特徴の一つの集積遺構は蒸し機と言える。つまり、<曾>と名付けられても不思議はない。
この上野原遺跡を<曾>と名つけてもいいであろう。

ニニギ命は「古事記」では<曾>から真来通って「笠沙」に行き着く。図らずも、その「笠沙」には上野原と同時代の「かこいノ原遺跡」がある。出土状況は「上野原」と同様だが、大きな違いは「かこいノ原遺跡」には定住したと思われる竪穴式住居が発見されていない。しかし、もう一つ「かこいノ原」には丸ノミ式石斧が出土している。「かこいノ原石斧文化圏」は大隅諸島、トカラ諸島、種子島、沖縄諸島まで広がっている。そこは海人族の活動地域で、丸ノミ式石斧が、丸木船の製作用具である事から丸木船による航海が行われていたと推察される。
特に、種子島の「大薗遺跡」から東北・亀ヶ岡の<大洞式土器>が出土している。
これは対馬海流とリマン寒流系を利用して、交易が行われ、異文化や物々交換が行われていたことは考えられる。かなりの古い時代から航海による各国の交流があったことは考えられる。
野間半島に戻そう。この半島は黒潮との関係で、南島・江南の漂流物が流れ着いている。「かこいノ原遺跡」はその象徴的遺跡といえる。そして、その地に、ニニギ命は「笠沙」で阿多姫(コノハナヤサクヤ姫)と遭遇して娶っている。阿多はその名の通り「吾田」・吾田隼人の居住地である。

私はこの史実は単なる偶然であろうか。私には八世紀の「古事記」の編集者は「古老」や「巫女」の伝承から知っていたのではないかと思う。

谷川健一師は「縄文からの連続性」を真実だと思うし、ユングの「集合的無意識」はDNAによる夢の具現をリルン的根拠として、また「黄色い葉の精霊」(ベルナツィ~ク)に記載されているインドシナ半島の山岳民族・ミャオ族の首長の驚異的な記憶力・動物に匹敵する感性・そして首長(呪術者でもある)は古来からの伝承を暗記できなくては資格を与えられない。と言った記述を思うに、「巫女」の<天語り>や<神語り>の歌伝承、また「古老(呪術者)に太古の伝承の記憶がなされていたと言う推察も考えられる。

「上野原」から「かこいノ原」の移動は、実は<曾>の伝承は象徴としての話しで、「かこいの原」が史実としての事実のような気がしてならない。そう少し根拠が欲しいが残念ながら、これ以上の説明ができない。
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