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近世、西宮の浦に道君坊という翁がいて蛭子大神を慰めるために小さな人形を作って舞わした。
道君坊が亡くなって、海が荒れ、漁ができないので、百太夫が道君坊の人形を作って、神の前に舞わすと、波風が治まった。
百太夫は都に登って、時の帝に召され、その芸を披露して、叡感あって「諸伎芸の首(おびと)」を授かり、諸国の神前に人形を舞わせた。これが傀儡師の初めで、百太夫は淡路三原郡三条で亡くなるが村民がその芸を伝えて淡路操座を興した。(でくのぼう・でくんぼう・てくるぼうと人形のことを言う)

この百太夫は、宇佐八幡宮の「放生会」で隼人を討伐する為に、傀儡師を使って「細男舞」を人形に舞し、隼人を誘い出して、惨殺した。一面血の海であったと言う。

ところで、その人形の起源だが、その初めは神木から作られたと言う。そもそも、神木は天と地の介在をする精霊であり、神は雷となって神木に乗り移り、地上に達する。神の依り代こそ木なのである。その依り代から造られたのが人形であると言う。
人形には二通りの考え方があり、一つは依り代であり、もう一つは生贄としての形である。
かつて、天の怒りを鎮めるために、人は生贄として人を捧げた。しかし、時代を経るに従い、生身の人間を人形に買えて捧げることになる。その代替物が人形なのだ。尾張地方に伝わる「屠人放(ほとほり)」の神事がその例である。

伝承として、海人族の言い伝えと言うのが通説だが、しかし、私は少し疑問を持っている。と言うのは、木は海の産物とは思えないからである。悪まで、木は山の産物で、伝承の初めは山地にあったと考える。

「古事記」の吾田鹿葦津姫(このはなやさくやひめ)は海の巫女であろうが、その父は大山祇神で、「山の神」である。又、火照命(海幸彦)は海の神だが、彦火火出見命(山幸彦)は山の神である。「古事記」の説話は常に山の神が優先をしている。神話の主体は、山の民なのである。

私は縄文以来の信仰が、初期の神話では主体であり、その後、海の民がやってきて、その地位を奪おうとして、伝承を形作ろうとした記憶が、それらの神話に反映したと考えている。
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