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宇佐は神武東征の最初の到達地です。

この地は見事に、北九州の縮図を呈している。宇佐八幡宮の祭祀者は宇佐氏、辛嶋氏、大神氏(みわし)です。宇佐氏はその祖先を先住民族とされ、「大姫」(玉依姫)とされ、海人族がその本願だろされる。確かに、黒潮文化の範囲ないに宇佐は位置してはいる。だから、南方伝承が古くから伝えられているのはその通りだろうが、私はもう一歩踏み込んで、縄文からの地母神(土偶)信仰が端緒だと理解する。
「古事記」で述べられている。「海幸・山幸伝承」でも「大山祇神」でも、初期には「山の民」を優位に位置する伝承が多い。海の伝承はその次ぎに語られるのである。
それも浅学の私の直感に近い見解なのだが、「古事記」の編者はそのことをよく理解していて、敢えて表示しているように思える。
その論法で言えば、宇佐氏の敬う「大姫」は「玉依姫」ではなく「土偶」に近い「巫女」が対象なのだと考えます。そして、その後に、新羅から渡来した辛嶋氏が金属文化と呪術的農耕儀礼や草木医術・呪術的な巫医を携えて宇佐に渡来し、先住民・宇佐氏と融合して<原始宇佐八幡宮>を形成した。その勢力が高まるに従い、大和朝廷は、三輪系の大神氏を宇佐に送り込み、「宇佐八幡」の信仰を牽制したと思われる。
それは見事に北九州の本土の縮図そのものである。「古事記」はそのことを熟知していて、神武東征の端緒にしたと「ほりもとの空想」は考えるが、もう少し「妄想」を逞しくすれば、それを進言したのは「塩土老爺・事勝国勝長狭」であったと考える。
「塩土老爺」は<古老>とも称され、<巫女>と共に「天語り」や「神語り」の宮廷と民間の<旧事>の伝承者だと思われる。私は「呪術的直感」や「霊夢」、「動物的記憶力」を<古老>や<巫女>に期待している。「大歌所」がそのヒントだと思っていたが、私の調べたところではその事実は見出せなかった。しかし、私は「動物的勘」で間違いはないと信じている。
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