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非常に重要な処で「古事記」と「日本書紀」の記述の違いは閉口する。

ニギハヤヒ命の大和上陸も「日本書紀」「旧事本紀」では神武天皇より先に大和へ行っている。しかし、「「古事記」では神武天皇が東征してから後を追ったと書かれている。そしてそのすぐ後に長髄彦の妹の登美屋姫を娶り、産んだ子が宇麻志摩遅命で、物部連・穂積臣・采臣の祖と述べている。
確かに、神武天皇は大和に上陸する前に寄り道をしている。かなりの年月を経て大和へ着いている。途中でニギハヤヒ命は神武天皇を追い越したと言うことだろうか。古事記の舌足らずの物言いは何か謎めいて解釈に苦慮する。
最後に大和を平定するのだが、「日本書紀」のように状況を具体的に描かない。ここにも、説明を省略しなければならない何らかの事情があるのだろうか。それとも、単純にニギハヤヒは神武を追い越したで済む話なのだろうか。解釈に迷う。

その後、宇麻志摩遅命と天香語山命は厚遇されてはいない。美濃を境に宇麻志摩遅は出雲の岩見へ天香語山は新潟の弥彦へと拝領される。どう見ても、これは左遷である。物部氏と尾張氏をその評価として低く見積もられている。
これらに共通の祖は天火明命である。この命はニニギ命の兄とも言われ、天火明は北九州系氏族であり、ニニギは南九州系氏族である。私は「古事記」が天武天皇の息がかかった「ふることのふみ」だと考えるのだが、それにしては天武が尾張氏を貶める伝承を伝える訳がなく、その点をどう解釈すればいいのか苦慮を要するのだ。
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