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私はもう30年前に被害者連盟についたは語るのは終わりにしたいと思っていた。しかし、この頃「語り部」について考えているうちに、寿命がなくなるまで戦後のというより昭和20年から26年の講和条約締結までの治外法権の時代の米軍の犯罪行為について語って行こうと思い出した。

先ず、吉川よしさんについて話そう。彼女もまた、全国占領軍被害者遺族連盟の会員であった。
昭和21年に彼女の一人娘が犯罪に遭い死亡した。年齢20歳、銀座の松竹映画館に勤務していた。その帰途の出来事であった。自動車で彼女の横に乗りつけ車内に引きずり込んで強姦の末車外に放り出したという。彼女が激しく抵抗した為突き落さざるを得なかったのだ。

昭和26年までは日本は米国に占領されていてこの種の犯罪は米軍ないで処理され、軍法会議とやらで採決されて大体が微罪で済まされた。

吉川さんの落胆は目に余った。当時、細々と下北沢で麻雀屋で糊塗を漱ぎ、娘さんを育てただけに吉川さんの嘆きは一角ではなかったが、警察も国もましてGHQさえも門前払いで取り合ってくれなかった。
そんな時、私の父が起こした被害者連盟の存在を知り会員となったのである。

吉川さんにはもう一つの運動があった。それは猫虐待に対する反対運動である。その動機は彼女の娘さんが無類の猫好きでその可愛がっていた猫が失踪して、尋ね歩いた先で解ったことは、猫が三味線を作る業者に捕らえられ、その皮をはがされて三味線にされたことから、三味線業者の三味線製造反対運動も行っていた。

その吉川よしさんも補償法制定運動の最中に鬼籍に入ってしまい挫折している。

葬儀は貧しく参列した人も僅かであった。今、又、ご冥福を祈る。
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