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私の記事が昭和51年の朝日・ニュ~ス三面鏡に掲載された。

見出しは「米兵犯罪の被害調査に執念。堀本さん、補償法に熱のない政府」である。

その時の記事を全文掲載してみる。

夕日で病院が真っ赤だった。ひん死の父に、祖母が「生き返ってくれえ、生き帰ってくれえ」と夢中でお経を唱えていた。
五日夕、米兵犯罪を告発している東京地裁の「笠井訴訟」に、国側との和解交渉開始で姿をみせた東京都新宿区北新宿三丁目、会社員堀本隆興さん(三三歳)は、昔の記憶をたぐっていた。
堀本さんの父、稲夫三(現在六六歳)は二十三年(誤記・二十年)暮れ、杉並区浜田山の自宅付近で二人組の米兵強盗にピストルで撃たれ、頭部貫通の重症を負った。一年入院して命をとりとめたが、左半身不随、テンカン持ちの身体になっていた。社長をしていた建築会社はあっけなく倒産した。
暗い青春だった。風の便りに米兵はぐんぽ会議にかけられて、本国送還された。と聞いただけだ。日米間になんの取り決めもない時代だったから一銭の補償も出なかった。生活保護を受けた。両親のケンカが絶えなかった。弟と一緒に父を背負って、国会や政党を陳情に廻った。大学を中退しなければならなかった。
いま堀本さん終戦前後被害者が結成している占領軍被害者遺族連盟の理事である。「オヤジを殺してやりたいほど憎んだ。やっとオヤジの心がわかってきた。執念を息子が継いでやらなければ、オヤジは浮かばれんでしょうからね」
都内の被害者の犯罪を調査してまわっている。ジ~プに両足を根元から切断された男性。夫が下腹部を撃たれ、子供の出来ない夫婦。娘を暴行殺害され、生活保護を受けている老婆。三十六年に占領軍ん被害者給付金法ができ、防衛施設庁自身が「涙金」という金額がようやく支払われた。
堀本さんの父、稲夫三は四年前から東京都は拝島市の老人ホ~ムで寝たきりになっている。脳障害がある。人の話は聞かない息子の顔を見れば「おれは国に二億円の貸しがある」偏執狂のように繰り返すだけだ。だから堀本さんはまだ独身である。




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