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私は愚かにもある時期挫折感から占領軍被害者の仕事を放棄して弟にゆだねリタイヤしてしまった。その時引継ぎて、資料を彼に渡してしまったので、正確な知識ではないが、この会の象徴的な案件であった菊本文雄氏のことをお話しようと思う。

彼は昭和21年当時30代後半であったと思う、国鉄(現在のJR)職員で線路修理の仕事に従事していた。彼は補修の仕事に神経を奪われて、背後から貨車がくるのに気がつかなかった。二人の酒に酔った米兵が背後のポイント(貨車運行操作器)を抜いて貨車を走らした。菊本氏が気がついた時は間に合わなかった。彼は両足を切断して自由に仕事が出来ない身体になっていた。国鉄を追われ、生活保護で生活をしている中、妻子を養おうと親類・知人から資金を集めて、義足と特殊な車を購入して、印刷業を始めた。その直後、彼は生活保護を打ち切られた。彼は福祉事務所と掛け合い、軌道に乗るまで生活費の援助を申し出たが、法律外の一点張りで許可されなかった。
だから、彼はこの補償法制定に大いなる期待をしていたのだ。自らの生活を向上するためには多少の資金的補助は必要であった。
しかし、それも適わぬ望みであった。補償法の制定は政治家や官僚の志向から外れていた為、議員立法では難しかったのである。

菊本氏は涙を流して怒った。私は今でもその暗く怒りに燃えた目で「この国は障碍や貧乏から脱却しようと努力しようとするものには冷たすぎる。官僚はいかに無駄に税金を使っているのを私は知っている。その一部でも弱者に回せないのか」と涙を流したのを覚えている。

菊本氏のような人こそ補償法は必要だし、生活の援助はすべきなのである。矛盾と言うよりやり切れなさでいたたまれなかった。
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