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月読命については、資料不足でその確定には自信がないが、創造的試論を試みてみる。

私は古代史における漢字にはあまり信を置いていない。そのため先ず、「かな」に戻して考える。

「つくよみ・つきよみ」は「着く黄泉」と読んでみる。黄泉は月読命とまるで関係のないものではない。イザナギ命の禊によって生まれたが月読命である。イザナミ命ととの決別がその原因で、黄泉の穢れを祓うための行為であった。その結果、月読命は「食(お)す国」を任される。通説では「食す国」は暗黒の黄泉だとされている。しかし、私は少し異なった意見を提示したい。

妻・イザナミを夫・イザナギが迎えによくと、イザナミは「黄泉戸喰い」(よもつへぐい)、つまり黄泉の食べ物を口にしてしまったので、黄泉の大王の許しが必要だから許しを請わなければならないと、奥に引き下がる。イザナギはあまりに遅いので櫛に火を燈し、部屋を覗くと、妻の身体は腐敗してそこから雷が発していた。

これは土葬の現実的な表現で、地中に埋められた肉体は地の中で栄養分に変化し、雷は豊穣をかもす霊気であろう。「豊穣」の根源がイザナミを言える。「食す国」とはそのことだと創造する。
イザナミこそ月読命だと私は考える。その前身は「土偶」の地母神信仰であり、俗説化したものが、山姥伝承であろう。
勿論、この説に対する根拠を提示する作業が必要だが、残念ながら今、私は「神武東征」に主眼を置いているために更なる考察が不可能である、今は仮説に留めたい、そのうち主題が完了したあかつきには根拠を追及してみたいと思っている。
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