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目くら状態が悔しいので、色々考えて見た。その一つが「天孫降臨私観」である。

私はシュウリマンの「神話は史実である」を深いところで理解しているつもりである。
神話は史実の抽象乃至は凝縮であると理解する。

「天孫降臨」はニニギ命が日向の高千穂の襲(曾)に降り立つ。襲(曾)は霧島山麓・大隅(旧桑原郡)周辺であろう。その地には、縄文・草創期の遺跡・上野原遺跡が発掘されている。そこからは、集積遺構・連結土構、蒸し装置・燻製施設があり、それを運ぶ大壺や角丸型平底土器が出土する(運搬、貯蔵、祭祀にの使われた)。それに堅果種子を粉にする石皿、敲き石、石匙、石斧などが見られる。これは定住の証で、竪穴式住居が発掘されている。そこには二筋の道が築かれ、泉に通じている。そのほか土偶・耳飾・異形土器があり、祭祀を思せる。

ここで白川静師の「字通」の「曾」の解説を思い浮かべる。白川師は「曾」を、昔という意味と甑に通じる。と解説している。
上野原遺跡の集積遺構は象徴的に言えば、「曾」そのものである。つまり、大隈周辺は「曾」の地で
甑」を言っているとも言えないことはない。その「曾」の地から、ニニギ命は天津久米命と天忍日命の先導で野間半島の笠沙に行っている。そこで、吾田姫(コノハナノサクヤ姫)と遭い、通婚する。不思議なことに笠沙にはやはり、縄文・草創期のかこいノ原遺跡がある。集積遺構・連結土構・土器・石器なども出土しているが、不思議なことに竪穴式住居は見つからなかった。しかし、そこには「丸ノミ式石斧」が出土する。

この「かこいノ原・丸ノミ式石斧」は丸木船の製作の使用する器具である。この遺跡から、丸木船は発掘されていないが、大隈諸島、トカラ列島、沖縄までの範囲でこの「かこいノ原・丸ノミ式石斧文化圏」が形成され、海人族の文化圏で丸木船は発掘されている。

特に、種子島の大薗遺跡には、東北・大洞(おおぼら・亀岡産)式土器が出土している。簡単に出土と書くが、是は意味が深い。
例えば、黒潮は東シナ海で二分し、一方は太平洋へ、他方は日本海へ対馬海流となって北上する。それは南から北へは可能性として考えやすいが、北から南に南下するのは困難である。

対馬海流の反流が細かく日本列島側に生ずるが、それを具体的に述べるのは難しい。もし、その方法を取ったとしたら、かなりの経験と熟練が必要で、かなりの時間を懸けて習熟した結果からの判断の結果だろう。

もう一つ、リマン寒流を使うという方法だが、是にはかなりの時間を有する。

平成22年の大災害で、岩手県の釣り船が、兵庫県沖で発見された。一年後である。
これは、リマン寒流が朝鮮半島側に流れ(寒流より暖流の方が強く押しやられてしまう)、中国の東シナ海で対馬海流の下に潜り込み(密度の関係である)、押し戻された形になった。

つまり、寒流の流れに乗るという方法も考えられなくもない。

このように、海人族の航海は広範囲、遠くまで交流をしていたと考えらる。

その海人族の象徴が「吾田姫」であり、かこいノ原文化圏こそ、ニニギの「天孫降臨」の行き着いた意味なのであろう。そこで、「吾田姫」は重要な発言をする。姫の父親が「大山津見神」だと名乗る。「吾田姫」と「大山津見」は同族であり、「古事記」の構成を考えると、「大山津見」は「曾」の地の族長の可能性が強いからである。

この神話と史実の関係は時間的には遠過ぎる。神話の作成は八世紀であり、上野原遺跡は前一万年である。この差を埋める根拠は、ベルナツォクの「黄色い葉の精霊」の苗族の首長の驚異的な記憶力や動物的な嗅覚・長としての資格は膨大な太古の記憶と、ユングの「集合的無意識」、DNA形成と環境の関係、そして「霊夢」の顕現などであろう。
私は、古老や語り巫女の存在に期待している。今は推定だが、「古事記」の編纂者は古老や巫女から上野原やかこいノ原の存在を知っていたと考える。その足がかりは「曾」である。

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