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勿論、源流はその現在を探る上で非常に大事なことであるが、その対象に大きく左右している場合もあり、その特質が潜在化していることもある。

私が倭(和)を探る過程で、一万年以上前の苗族に行き渡る。その苗族の源流は中国・黄河流域に行き当たる。当時は夏王朝の出来る前である。その当時神話によると、黄帝が進攻して来て、苗族を滅ぼして、苗族は一部、山岳地帯南へ落ちのび、一部は長江流域に居住する。そこで、三苗族を作り、倭となり、百越族を形成する。春秋時代にはそれが「呉」や「越」などに分散され、最後には「越」が残るが、それも「秦」により撲滅されて、三国時代に入ることになる。

そして、最後の「呉越の戦い」で「呉」は「越」に破れ、南方へ、朝鮮南部へそして、南北九州へと落ち延びる。日本の「倭」は最終的には、この「呉」の残党ではないかと、私は推察している。勿論それ以前に、江南からは様々な交流(漂着・亡命・進出などが繰り替えされているが小規模であった)は最後は「呉越の戦い」の結果現れたと思う。

「呉」が古代史の中で、神話や中国の正史に「倭」の言葉として取り上げられる「自らの祖が太伯だと名乗るのは
強ち根拠のない空言ではないだろう。「呉」が南北九州に与えた史実がそういわせていると私は考えている。

ただし、「呉」や「越」と苗族の習俗を比較しても全く同じではなく、その比較検討はこらから慎重に行なわれなければならないだろう。
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