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細男舞については、「八幡愚童訓」で安曇磯良は細男舞に魅かれて海上から現れたと記述する。

「八幡愚童訓」の記述を詳細します。
九州志賀海神社の祭神・安曇磯良が神功皇后の三韓征伐の折にその水先案内人に立つべく海中より浮き上がった時に舞ったと伝えられる細男舞。三韓征伐出兵の為、香椎の地に赴いた皇后は敵を破る方策を住吉大神に尋ねると大神は志賀島の海中に住む安曇磯良を召して竜宮城に遣わし、竜王より干満の珠を借り受け、この珠の威力によってsめれば安らかに勝利すると教えられる。磯良を召しだすのには、磯良は「せいのう」の舞いを好むと言うので、海中に舞台を据えて、舞いを奏すると、磯良は首に鼓を懸け、浄衣の舞い衣となって亀に乗り、海中より浮かび上がった。しかし、永年、海に住んでいたのでその顔は牡蠣や鮑がびっしりと付いて、あまりにもついて見苦しいので、浄衣を脱ぎ、顔を覆い頭を垂れて舞った。

例えば、「呉」の意味は白川静師の<字通>で、サイ(祝寿器)を掲げて踊り神を崇めるとある。

「宮廷神楽」では、その初期に<阿知女、阿知女、於々>と唱える。阿知女の作法の「阿知女」は「阿度女」「安曇目」で安曇磯良と言う海の精霊を呼び出すものであった、と伝える。

私は「呉」と「倭」は、「晋書」「梁書」に<倭の太夫は自らを呉の太伯の子孫>と記述している。又、滝川政次郎師は「猪甘部考」で、江南から黒潮に乗って、北九州にやってきたのは安曇族で南九州にやってのは隼人族だと述べている。しかし、隼人は渡来民族とは思えず、先住民族の可能性が大きく、南九州にやってきたのもやはり、安曇族だと思われる。勿論、北九州の安曇族と南九州の安曇族とは同族分派だと言った方が
いいと思う。

磯良舞については、細男舞のことであり、「呉(呪術師)」と「安曇氏(安曇磯良は祭神である)」の関係は濃く、細男舞の「細(さい)」は白川師の「サイ(呉の祝寿器)」の可能性は大きいと思われる。

安曇目について、「記・紀」では久米氏もまた「さける利目(安曇目)」と書かれていて、安曇氏と久米氏の近似性もまた注目に値する。久米氏は上加世田遺跡から「久米の土器片」が出土していて、野間半島に久米氏は居住している根拠であり、安曇と久米氏の関係も考えられる。(多分、久米氏が四世紀には衰退しているので、表舞台から消えた事と無関係ではないだろう)
又、今昔物語の「久米寺の条」では久米氏と安曇氏は同族または、かなり近しい間柄だと記述している。
このことから考えると南九州の久米氏と安曇氏は同族で、隼人とは血縁関係があったと思われます。
安曇氏が南九州での存在が名前を変えてまたは隠れて存在していたと思われます。

又、隼人の伝承で「隼人舞」は宇佐八幡神社でも述べられているように、「細男舞」に釣られて姿を現したように細男舞には親近感があったと思われる。その根は、縄文時代から隼人には、神がかりの祈リの舞いが存在した。そのしぐさは「古事記」の海幸彦の海中での溺れるしぐさと同じ仕草である。あの仕草は神が乗り移った行為、天宇受売命の魂鎮めと同様である。この行為は「細男舞」に続くものである。
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