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宮本は西日本と東日本の社会構造の特徴の一つとして「長子・末子の相続制の違い」を挙げている。末子相続は九州の南及び西の島々に強く現れ、四国・瀬戸内海地方に多く飛んで諏訪湖近辺に分布して、隠居分家は末子相続地帯とほぼ重なりつつ、伊豆の島々及び、単なる隠居分家制ならば、太平洋岸を福島県辺りまで見られるが、東北及び日本海側にはない。隠居分家や末子相続は東北・北陸に濃く見られる。特に、漁民に多い。漁民が暗に伝えたかもしれない。
それに対して、長子相続は東北・北陸に濃く、関東で発生した武家社会もこれであり、西日本でも源平戦後、鎌倉武士が守護地頭として下降し、定住し、かつ繁栄したところには長子相続制や本家を中心にした同族統合の強い村が見られる。
東日本では血縁的な結合は男系の集まりであり、その下に非血縁の下人の家がつく。譜代・被官・家末・カマド・名子・バッチなどと呼ぶ。本家を中心にして、本体その周辺の子方が集まって住んで、小さな集落をなしている者が多い。山間、山麓にはこうした風景をしばしば見かけると共に、それが同族的な結合の集落であることを知る。東日本にみられた中世武士の党的な結合はこうした集落がそのまま武力化したもの。
これに対して、西日本における血縁的な結合には、婚戚関係も男系と同様に含まれるばかりでなく、末子相続を隠居分家に伴って財産もほぼ同じように分けられることが多いため、本家が一番高い地位に付くことも少ない。似た勢力の者が集まって住む場合にお互いの結合を強めるためには合議が尊重されることになる。こういう結合様式を一揆と呼び、肥前地方に中世初頭以来、根を張って、大きな勢力を持った松浦一揆はその典型的なものであろう。その寄り合いの席や署名の順序は全てくじによって引いている。
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