上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
古代史を読み始めた頃、私は関裕二氏の古代史に関する本を多く読んだ。
関氏の書物は、読み込みが豊富で纏めは優れていると思った。しかし、読み込むに従い、彼のその読書量の弊害がでて、章と章を繋げる想像力に疑問を持つようになった。だが、今でも彼の読解力は評価している。

その中での文章を取り上げてみた。

「天孫降臨の謎」の中で、上山春平氏の文章を挿入している。先ず、その文章を紹介しよう。

<アメノミカヌシを頂点に、二つに分かれた「高天原系」と「根国系」の神々が対置され、最後にイワレヒコ(神伊波礼毘古命=神武天皇)でつながり、ヤマト朝廷誕生に結びつけている。・・・・八世紀、藤原不比等の時代に出現した「律令制の原理と氏姓制の原理の矛盾葛藤とその解決に筋書き」(続・神々の体系、中公新書)にほかならない。

そう上山春平氏の著書をまとめている。私はその説を否定するものではないが、その見方は一面的だと考える。


当然「日本書紀」は勝者の書であり、政治的意図があるのは理解できるが、「紀」の編者は思うに、中国の正史や諸書を読み込んでいる。だから、「日本書紀」は八世紀の政治書として、大和朝廷側にたって書かれるのは当然である。「紀」制作の裏で藤原不比等の意図が働いているという説も理解できる。しかし、八世紀の識者も優秀である。「紀・記」を単なる政治書に留めていない。

例えば、中臣鎌足は自分の長子・定恵を幼少から中国・唐に留学させ、不比等も同じく百済の歴史学者・渡来人・田辺史の元で修行させている。つまり、田辺史のところでは中国五書をはじめ、魏志なども熟知していただろうし、朝鮮の正史などはお手の物であっただろう。なおの事、一般の学者などは死に物狂いで勉学に没頭したであろう。現代より制約は強く、集中力は今の比でなく真剣にならざるをえないと言える。


特に「古事記」に至っては、単なる政治書だけでなく、古来の事実や伝承・神話をも包括して記述している。
その点で非常に複雑な記述になり、その底で乱光的な様相を呈している。私はその点を評価したい。主観的な視点が政治史であり、客観的視点では、文化史・哲学を包括する類まれなる書物であると、私は考える。特に「古事記」はその源として評価する。私が古代史にのめり込んでいったのは、その「古事記」の深さ・広さである。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/tb.php/684-80c5bcd4
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。