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谷川健一著の「白鳥伝説」を読むが、谷川師の史実考証は綿密で多岐に渡っているので、私には読みこなすのが困難です。私は文中の引用し書は読むようにしていますが、谷川師は多すぎて読みきれない。未消化のままですが、思いついた事を書き留めたいと思う。

安倍氏は物部氏と蝦夷の混血だという説は考え深い。蝦夷は安日彦のことだろうが、文中では神武天皇に政略され東北へ亡命すると書かれている。安日彦は長髄彦の兄である。長髄彦は脛が長い八掬脛と同様で土蜘蛛でしょう。これは縄文の古モンゴロイドの特徴で先住民族と思われる。当然、血の繋がった安日彦もまた、縄文先住民であろう。
文字を分析すれば、安日は安東であり、「日は東」と同義で安日を安東と言い換えることも可能だ。この分析から言うと、安日は安東氏であり、安倍氏とも同族だと言える。
巻末の対談で谷川師は、「安東氏の流れをくむ秋田家は明治になり爵位を授与される際、宮内省に対し安日を始祖とする系図を提出している。自分達は、神武東征の軍と戦ったナガスネヒコの兄たる安日の血脈を連綿と受け継いだ氏族だ」と意思表示している、と書いている。

それは宮内省には蝦夷を軽視する傾向にあるので、安日の末を省くのが得策だと進言しているが、秋田家は安日の末を誇りを持っていると伝えられている。

谷川師は日本人の起源を縄文に置いているようで、渡来人と先住民の混血である初期王族を冷ややかな視点で見つめておられる。
初期王族が悪ではないが、彼等の志向性は弥生的であり、どちらかと言うと中国的な儒教的思考が窺われる。縄文的な自然と同化しようとする思考とは対極にあるような気がする。儒教には人智を優先する志向があり、西洋の一神教に似た合理的な考え方が窺える。縄文人の志向は「円の志向」が基本になっていて、自然の循環を重んじる。「上野原遺跡」や「三内丸山遺跡」に見られるように、縄文人には「和」の思考が現れている。自然には越えられない脅威があるが、それには「祈り」で対抗しようとする。

私はその縄文思考に共感をする。私の身体の根底には自然と同化しようとする感性が潜んでいる。欲望より「融和」が顔を出す。欲望がないわけではないが、仲良くしようとする志向が優先する。谷川師と同様、縄文思想を今、再考すべき時期に来ていると考える。



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