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「古事記」「日本書紀]の編纂は八世紀である。その編者の知識は当然、「唐」を足がかりに中国古典を学んでいたはずである。決して朝鮮半島の文化を学んだはずではないだろう。たとえ朝鮮文化を取り入れたとしても
その根底には中国文化を吸収した結果である。そのくらいの認識は容易に理解できる。

確かに八世紀の知識人は百済や新羅の渡来人が大勢を占めている。だから、朝鮮色が強いのは否めない。しかし、古い時代の文献は帰化系ヤマト族は中国の文献や伝承を参考にしたのは確かだと言える。

例えば、イザナギの「禊祓い」は先ず安曇族を先行させる。その後、天照大神とスサノオウ命の「誓約」が下で宗像三女神を産ませている。つまり、安曇族が滝川政次郎師の唱える野間半島の渡来族(滝川説は隼人族だが、押しつずめれば安曇族である)だとの説がある。それが古い伝承で、その後で宗像海人族がやってくるという道筋である。穿って推測すれば、先ず中国伝承があり、それを受け継いで朝鮮伝承が伝わったと見る見方も出来る。

そして、「記・紀」の神話を南九州から始めるのは、八世紀の識者は古代の文献を参考にしたからに過
すぎない。いや、四・五世紀の海運規模は圧倒的に中国文化が優位にあって、中国船舶が朝鮮の舟より九州にやってくる頻度は多いに違いない。そして、九州の縄文文化とあいまって高度の南九州が構築されたと私は考えている。

だからこそ、「記・紀」の神話は八世紀の識者が確認は出来ないが、中国の古文献を参考に表現したのであろう。これも推測に過ぎないが、八世紀の編纂者は薩摩の文化を知っており、持ち前の中国・中華思想を立てに見下した表現を使ったと思われる。つまり、初期神話を南九州から始めた根拠に違いないのだ。

彦火火出見神話で隼人を皇孫の系譜に入れたのはそういう理由からであった。
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