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山本事件から、再び古い記憶の整理を始めたのですが、又、興味あることに気ずきました。

私は「古事記」「日本書紀」にその広さ深さを痛感するのは、時折、驚く様な深い文章にぶつかるからです。
塩土老爺が神武天皇に東征を示唆する「東に美き地あり、青山四周らす」もそうですが、「日本書紀・神代・第五の一書}にもそれを視ます。

イザナミ命、火神を生む時、灼かれて神退去(かむさ)りましぬ。故(かれ)、紀伊国の熊野の有馬村に葬(はふ)りまつる。土俗(くにひと・その土地のひと)、この神の魂を祭るには、花の時には、花を以って祭る。又、鼓(つずみ)、吹(ふえ・笛)、幡旗(はた)を用て、歌舞し祭る。

この文章には、これを書いた編者の見識の高さが窺える。
イザナミの黄泉国行きの序章であり、紀伊国の熊野伝承には熊野神社縁起が下敷きになっている。(この縁起は長いので省略する)もともと、熊野は出雲にも存在し、出雲と大和の関りは古代史の根幹に関わる伝承なので見逃せない。
出雲は国津説話の基底でもある。火継ぎ神事は大嘗祭の端緒であろう。
それに花祭りの信仰がからむ。私は花祭りには、「兆し」を感じる。「兆し」は古くは、「牙」であり、それは「芽」に転化する。その先で「阿礼」を思わし、「生まれる」瞬間の「ビックバン」さえも想像させる。別の表現を使えば、<神秘的な霊光>さえも思わせる。多分、それが「うず」のはじめなのだろうが、近代物理学で言う「ビッグバン」、混沌の閃光、無の揺らぎなど様々の表現で語られる。
「花祭り」とは荘厳で神秘、不可解で無気味な事象なのであろう。
また、「鼓、吹(笛)、幡旗(はた)」とは、それぞれの意味は深い。
「鼓(つずみ)は鎮魂の呪具で、あのリズムは道教や修験道で言う<へんばい>であり、「たなしずめ」の呪術である。又、それは悪霊払いの呪術でもある。
「吹」は息吹と表現され、ここには生命の意味が潜んでいる。蹈鞴の製造神話の「再生と生産」の神事にも通じ、、五百木部氏や息長氏の氏姓伝承をも通じている。
「幡旗」は、神の依り代であり、「神木」や「心の御柱」に行き着く。また、葬礼に際する「歌舞」は「魏志倭人伝」の習俗にもみられるが、それは天宇受女命の呪術的な「天の岩戸神話」の踊りから端を発している。

こう考えてゆくと、「記・紀」の編集者たちは、日本の「風土記」や伝承に精通しており、さらに中国や朝鮮半島の故事・史実をも熟知していて、それが日本神話の成り立ちに深く反映されている。

私はまだ、古代史を始めて日が浅く、浅学の徒ではありますが、「記・紀」を中心に、中国・朝鮮の故事・伝承また史実を読みあさっていて、その卓越した内容に驚嘆の声を発せざるを居りません。何故、もう少し前に知らなかったかと後悔の念を禁じえません。それ程、古代史は魅力ある領域です。
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