上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2013.11.30 水蛭子。
私が神武天皇を調べ始めて、「古事記」を紐解き、最初に興味を持ったのは水蛭子であった。イザナミ・イザナギがその聖婚上の先で近親相姦と言う異常成婚が行なわれる。
そして、その結果現れるのが「水蛭子」で二人はそれを葦舟に乗せて流す。その次に生まれるのが淡島である。その最悪の結果を慮って、両神は天にいる神にお伺いを立てる。すると、「ふとまに」で占い、女から誘ったのが悪かったのだから、男から言葉をかけよと宣託が下る。その通り実行すると正常な行為が回復され、国産みが始まるのである。

「水蛭子」は奇形児であり、「淡島」は流産の象徴であろう。天上の神は母権の弊害を指摘したのであるが、本質的には近親相姦そのものの弊害が現れたと考えるのが常道であろう。
穿った見方を言えば、縄文時代の母権社会を戒め、弥生時代の父権社会を形成する主旨がこういう表現で表されたといえるかもしれない。

ところで、葦舟で流された「水蛭子」はその後、どうなったであろうか。
私が、その疑問を調べ始めた一番最初の資料が次に挙げる文章である。

近世、西宮の浦に道君坊(どうくんぼう)という翁がいて、蛭子大神を慰める為に小さな人形を作って舞わしていた。(これが西宮神社の夷信仰の謂われである)
道君坊が亡くなって、海が荒れ、漁師は漁が出来ないので、百太夫が道君坊の人形を作って神の前に舞わせると、波風がおさまったと言う。
百太夫は都へ登って、時の帝に召され、その芸を披露して、叡感あって「諸技芸の首(おびと)」を貰い、諸国の神前に人形を舞わせた。これがクグツ師の初めで、百太夫は淡路三原郡三条で亡くなるが、村民は百太夫の芸を伝えて、淡路操り座を興した。と伝えている。

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/tb.php/699-6fb73669
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。