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「古事記」については、暫らくは秘匿の書で「日本書紀」が正史として流布するよりかなり遅れて知られている。
「古事記」の序に太安万侶が表わしているが、安万侶は民部省の任にあたり、地方豪族の強化に努めてると言うのが通説で「古事記」に関る時間的な余裕はないと言われている。しかし、大伴家伴の例にもれず、軍事の役職にいらがら、歌をよんでいる。太安万侶も直接「古事記」を編んでいるわけでなく、稗田阿礼の素材を選択し、編集したといえる。

太安万侶は天武天皇の湯沐令(ゆのうながし・・幼帝の養育係)である多品治(おおのほむじ)の系譜で大歌所の管理者である。その大歌所の現場の指揮者は柿本人麻呂である。
多氏は神武天皇の兄・神八井耳命で祭祀を司る職掌の長で、もとより、祭祀の専門家である。大歌所は巫女の「天語り」「神語り」の統括者で「帝紀」「旧事」の伝承を歌として残している。

大歌所の巫女は地方豪族の采女から優れた歌い手、呪術者である。その教育係は、所謂、地方の識者である「古老」が当たっていたはずである。
稗田阿礼にはその「古老」や巫女たちが伝える「話し」を収集し、口伝する可能性をひめている。それを「古事記」に反映させることはありえることだろう。

一方、「日本書紀」は中国の正史に倣って、当時の頂点にいた識者が合理的理論的に結集した政治書である。当時の皇室や上毛野氏・忌部連・安曇連・難波連・中臣連・平群臣などが名を連ねている。
その統率者として藤原不比等がいるのは確かであろう。不比等は幼少から百済系の学者・田辺史のもとで教育を施されていて、中国や朝鮮の主要な文献を熟知しており、魏志・倭人伝や旧漢書、新漢書はもとより晋書・梁書まで目を通していたと思われる。
国内にも、「風土記」の作成作業中、各地の「古老」が貯えた様々な古伝承も収集しているはずで、膨大な情報の中から「日本書紀」に反映させているのは明らかだろうと思われる。
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