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気が萎えると、私は古いノ一トをめくる習慣がついてしまった。

私はノ一トの右脇を数行空白にして、そこには注釈や思い付きを書くようにしている。そこに面白い書き込みがあった。

神武東征を読んだ読書感である。
そこには単なる思い付きではあるが、面白い書き込みがあった。
「卑弥呼の男弟こそが物部氏の首長であり、新羅から渡来した王族と混血して饒速日命を生み、大和へ東遷した」と書き込んでいる。勿論、根拠などない。単なる思い付きなのだが、なかなか面白いとは思う。

そしてもう一つ、こうも記している。
<私は日本書紀にある一節「東に美き土有り、青山四周らす」は卓見であり、洞察の深い哲学であると思う。
これは太古の知識人・塩土老爺の言葉ですが、この老人は海人族の頭領で、全ての情報の収集者である。
東とは、日が昇る新進の状況を示しており、陰陽五行説では「春」を象徴し、「青龍・水を司る神」である。それは正に活動を始めようとする瞬間を思わせます。
「土・くに」はそうした状態を言うのです。決して「国」ではないのです。「国」とは王つまり王位を囲む所の意味でしょう。それは人が人を支配する空間です。しかし、「地・くに」とは、全てのものを生み出す自然をいいます。
私は日本書紀を編んだ知識人の多くは、朝鮮半島から儒教的精神を担った種族だと考えます。弥生人と称される侵略種族でしょう。
しかし、この「地」を意味する思想はそれとは異なります。縄文人が持つ、自然を共有する思想が現れています。つまり、青山・・・山・川・と海に囲まれた豊かの美しい国を言のではないでしょうか。それらに囲まれた「地
・くに」が古来の日本の姿と表現されているのだと思います。
縄文を形つくる一万年は、その自然を崇拝する心が繋げた「円の思想」があったから持続したのではないでしょうか。それは天災(大噴火や洪水・旱魃など)以外は平和に過ごせた時代だったのです。彼等は産土神(地母神)を祀り、自然を母として生き延びた種族だったのです

この書き込みを読むとこの後半部分は今と変わりがありませんが、前半の思いつきは一考を要すると思います。
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