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2014.01.07 藤原不比等
藤原不比等は中臣鎌足の子であることに間違いあるまい。
彼等は軍事ではなく、律令(近江令から養老令)によって世の中を改革をするよう天皇族と手を結び、地方豪族を従属させたのは非常に象徴的である。何故か女性的な手法せる。

中臣鎌足は中大兄皇子に蘇我入鹿を暗殺させたのは、考え方によれば外国の力(軍事)による覇権という方法ではなく、なにやら女性的な手法を思わせる。

特に、藤原不比等の手法は、間接的な統制手法で不比等は自ら動くと言うより女性を楯に政治に関与する方法を取っている。持統・元明・元正女帝と女性を表舞台に立たせて政治を牛耳っている。さらに、文武天皇の養育係の県犬養三千代を寝取り(その当時三千代は美努王の妻であった)、文武天皇を、三千代を使って牛耳っていたに違いない。その前に草壁皇子の相談役であったとする説があるが、それも持統天皇に取り入る方法として、多分、女帝が草壁を盲愛していたことに付け入ったのだろう。

草壁皇子が崩御すると、母性本能の強い持統天皇は息子の軽皇子(天武天皇)を皇位に就けたいと願っている事に付け入って県犬養三千代を傘下に引き入れたと思われる。その三千代を奪ってまでも天武天皇に近ずく方法は当時としては不倫が違法と知っての強引な方法であったと思われる。

つまり、不比等は女性を手がかりに政治を操って行く謀略的な手法で中枢に取り入っていったに違いない。
私はそれが幼少から母に育てられたのではなく、田辺史の女性達によって育てられたことと無関係ではあるまい。彼は、生来、女性扱いの天才的な性格とあいまって、そこで女性に扱いを学んだのだろう。
彼はその相乗効果で女性に取り入り、間接的な統治を行なった天才的な黒幕政治家であったといえる。
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