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私は上山春平氏の説う事には大まか賛成である。

しかし、藤原不比等についてはもう少し不比等を上位に見ている。

上山氏は「神々の体系」の中でこう述べている。
「藤原体制ずくり中心に立つ不比等と記紀とを結びつけて考えるようになった。」
「もともと天皇家のためにの歴史として出発したものを、藤原家のためにの歴史につくりかえしながら、しかも天皇家のために見えるようなかっこうに仕上げたものとして記紀をとらえる見地からすれば、この見地そのものの正当性を検証するための史料ちして、記紀をそのままの形で使うことができないのはいうまでもない。」

明らかに、上山氏は藤原不比等は「藤原氏」のために記紀を使ったとしている。しかし、そうだろうか。
私は不比等はそれ程、不遜な人間だと思わない。私はこの不比等を個人的には好意を持っていない。その手法は好きになれないのだ。しかし、不比等の天才性は高く評価するに吝かではない。彼の政治性や文献を深く理解する能力には頭が下がる。それは血筋のよさでもあろうが、田辺史とめぐり合った機縁の偶然性も深く帰依している。
この百済系の帰化学者は不比等に中国や朝鮮のあらゆる文献を教化したに違いない。その成果はその後の不比等に如実に現れている。

私は藤原不比等の事を哲(あき)らかにする能力の卓越性を評価している。彼が影の主導者として君臨するのは、不比等が自らを「人」として自覚し、「神の系譜」に入れない事を十分認識しているからなのではないかと私は推察している。天皇の神聖を現人神として認め、マツリゴトの聖域を侵さない、人は政治には関与しても「神聖」には関わらないという「哲学」を深く理解したからこそ、のちの摂関政治という形を選んだのであろう。その選択性は成功と言う名に当たらない。これは彼の認識の深さの成果なのである。
もし、藤原不比等が力でその覇権を握り、帝王についたとしたらそのごの藤原氏の隆盛は続いたろうか。人として人を支配する本分を悟ったからこそ辿り着いた地位なのではないだろうか。「人の部分は人へ、神の聖域は神へ」この事を不比等が深く認識したからこその天下なのであろう。

私は嫌いな藤原不比等を優れた政治家だと認めないわけにはいかない。ただこの裏技師の手法が嫌いなのだ。女性を楯にした間接的統治を私は生理的に嫌いなだけなのだが、だから私は凡人の名をほしいままにしているのである。天才とはそこが違うと思っている。
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