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2014.01.27 隼人の周辺。
「古事記」では<故、火照命は海佐知毘古(うみさちひこ)として、鰭(はた)の広物、鰭の狭物(さもの)を取り、火遠理命(ほおりのみこと)は山佐知毘古として、毛のあら物、毛の柔物(にこもの)を取りたまいき。ここに火遠理命その兄(いろえ)火照命に、「各さちを相易(あいか)へて用いむ」と謂ひて、三度乞ひたまへど許さざりき。然れども遂にわずかに相易ふること得たまいき。とある。火照命(兄)は火遠理命(弟)に破れ、兄は弟の俳優(わざおぎ)として服するようになる。>

俳優とは警護と呪術的な衛兵であろう。現代人の常識からいえば、不可解な行為である。しかも、この兄弟はニニギ命の息子である。つまりは皇孫の血族である。しかも、八世紀で覇権をうける天皇族の祖地である北九州ではなく南九州での出来事である。通説では八世紀の皇族は北九州の出自だと言う。その血は朝鮮半島の渡来人の血が色濃く反映している。それであれば、いくら神話と言え、否、神話だからこそ、皇孫の始祖は北九州とするのが合理的であろう。私も北九州が天孫降臨の舞台だと語られても、一片の疑問も抱かなかっただろう。
この不条理な神話をどう受け止めればいいのだろうか。私は八世紀の識者達の知的水準を高く買っている。特にその中心にいただろうと思われる「藤原不比等」の学識はその政治感覚と同様に天才的なものがあると推測している。だからこそ、神代の舞台が「南九州」である事には深い意味があると理解せざるを得ない。
彼等は古代(弥生いや縄文時代から古墳時代にかけて)の文化の基盤は南九州にあったと理解した結果がそうなった思わざるを得ない。

安曇族の始祖はイザナギ命の禊で生まれた綿積見神である。その後に生まれた天照大神とスサオウ命の誓約で生まれたのが宗像三女神である。時間的序列から謂えば綿積見神が先であり、その後に宗像神が現れる。先ず、江南文化が先行し
そのあとで朝鮮・弥生文化が到来するとは考えられないだろうか。朝鮮文化は、多分に中国文化の影響を受け進行したのは間違いない事実だから、中国文化のあとに、朝鮮文化の進行が「倭」に及んだと言う認識が八世紀の知識人にあったと考えるのは順当な理解であろう。
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