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私は古事記・日本書紀(記・紀)を読んでいて思うのは、「記・紀」は<真>の模倣書だと思います。まず目に付くのは、蝦夷・佐伯・八束脛(やつはばき)・国巣(くず)・槌蜘蛛・熊襲・隼人などの先住民族の虐殺・謀略の表現であり、強国に対しては謀略を凝らして懐柔する奸智に長けていることです。
先住民に対しては大変過酷な表現をします。穴に棲み、木の上に巣を作り、親や恩人の恩も無視して情は働かすことのなく、他人の物の平気で盗むと言った中国の中華思想そのまま焼き直した表現を使います。まるで野蛮人は抹殺されて当然だと言った態度が歴然としています。しかし、その意識の下では恐れや罪の意識を潜ませているのです。彼等の模倣意識は多分、言い訳として作用しているのではないかと思われます。それでなくては弱者に対する過酷なまでの虐待は行われなかったと思われるのです。それは、祟りや禊、贖罪の意識、神社への回向として現れます。
一方、被支配者はこの支配者の巧妙な、生産手段としての優遇の意味を認識した上で従います。古代からのこの行為の繰り返しは、DNAに刻印され、日本民族を優等生的な恭順意識をその潜在意識に埋め込ませてきたのです。私は今、この呪縛から解き放されなければならない時だと思います。
砂漠の中の過酷な生存競争に生きる一神教の民族とは異なり、「古事記」で塩土老爺が説くように<東に美き(よき)地(くに)有り、青山四周>の慧眼のとうり、本来は循環(円思想)を熟知し、老若男女の役割を正しく行う多神教の優れた信者としての真の姿を顕現すべきなのです。
よく似非識者は日本は資源が乏しい国だと説きます。しかし、本当にこの国は資源が乏しい国なのでしょうか。それは比較論的な論理に過ぎません。また、この地(くに)は絶対的に資源が乏しい地(くに)なのでしょうか。わたしはこの地(くに)の縄文文化が一万年も続いた事実を思う時、彼等は、資源が乏しいと説く欲張りな人種の発想だとしか思わずにいられません。産土人(うぶすなびと)・日本庶民は自然と調和し、人と人が共存すれば、穏やかな日々が送れることを原点に刻み込ませている優れた人々だと私は信じています。
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