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折口信夫師の「つぎ」を読み、少々思いついたことを書きとめようと思う。

海人族には二つの傾向がある。先住民的海人族と渡来人的海人族である。元来、先住民的海人族は解放的、柔軟な気風の気風である。それは移民種との交流が培った柔軟性で数多くの経験値が生きる選択の柔軟性を育んできたと言える。
ここに「万葉集」山上億良の安曇荒男と宗像津麻呂の交感の記述がある。

津麻呂は朝廷の意向で海運輸送を命じられたが老齢で職務遂行が困難なので、荒男に代行を依頼する。ここで面白いのは、津麻呂は公式つまり、官権の輸送職者であり、荒男は私的な運送職種なのである。当時は海の運搬は危険で命がけの仕事である。それを荒男は私企業なのに関わらず引き受ける。その理由が「血は繋がっていないが仕事の過酷さは非情で兄弟以上の心意気が繋がっている」と言う理由であった。
考えるに、朝鮮系の宗像族は初め先住民系の海人族より勢力は弱かったのは考えられる。当初、薩摩半島の阿多族が各地の交流を行い先住海人族の地位にあったのは考えられることである。その後、朝鮮半島からの海人族・宗像海人族が進行してきて、二つの海人族が並び立つ。本来なら争いが起こるのは必定であろうが、7・8世紀には完全に棲み分けがなされている。その過程に何が起こったかは今、不明と言うしかないが、大和朝廷が成立した当時は朝鮮系の宗像族が朝廷のお墨付きを貰っていたことは事実として、この「万葉集」の記述は物語っている。

ここで折口師の「つぎ」の論理であるが、その根拠は先住民の生活にあり、集団の首長の発祥と権威の引継ぎとしての過程が語られている。その経験の積み重ねは歴史形成であって、非情に重層的であり、有機的な結束を生み出しいた。そのエネルギ一は強固であるのは言わずと知れよう。その過程が種族の存在の形なのであろう。それを崩すのは並大抵のエネルギ一ではあるまい。争いの激しさの根拠とはその辺にあるのだろう。
なのにである。津麻呂と荒男の友情はその困難を経験した人々の思いやりは常軌を越えていた証左であろう。
私は、この生きるための生活の闘争と融和の物語をもう少し、詳細に点検しなければならないと思う。


私は当時の海人部の友好さが表現されていると推測する。
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