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私は谷川健一師の「縄文からの意識の連続」を卓言だと思っている。そこで霊夢と集合的無意識に興味を持っている。多氏の巫女を管轄した「大歌所」や古老の「驚異的な記憶」(それも数世紀にわたる口実伝承)そしてユングのDNAに刻まれた記憶の表出(夢や大事故の衝動による表出)、フロイドの夢判断などに興味があって、それらを注意深く詮索していた。その延長上で「古代人と夢」(西郷信綱著)に食指が動いた。

夢について、西郷師は、「万葉集は夢を<伊目・いめ><伊米・いめ>と言った。<イメ>は「寝目」のことである。
<寝目>は「目」の動詞化で<見る目のこと>、「魂の目」であろう。
荘子は夢を象徴して蝶が舞う<ヒラヒラする形>を魂の具現として表わした。

魂は、「心」が<群肝・むらぎも>といい、人の内臓にあり、知意情を司ると、荘子は述べる。そして、「魂」は人の外から去来していると説く。
「魂」は神に属するとでも言うのだろうか。その神は宇宙の混沌(カオス)とでも言うのだろうか。宇宙の創生が現代科学では「ビッグバン」だといわれ、万物の始原はそこにあると、言われる。つまり、銀河系の膨張が始まる始原だという。時間が生じるのはこの膨張があるからだと言われるが、さて凡人の私には理解を超える。

ただ、「魂」が蝶のように漂い、人間の生の誕生とともにやって来て棲みつき、死とともに去る、その表象は解り易い。

私が今、夢について、この「魂」がある契機で「心」の中に飛び込み、太古の記憶を齎す起因になったとしたら、ユングに唱える無意識の世界がそれを実現する可能性は無ではないと考える。

ベルナツィ一クがインドシナの苗族の首長の資格に太古伝承を脅威的な記憶で語ったという事実は、南九州の数回にわたる大噴火の記憶を「古老」や「神語りや天語りの巫女」が語った可能性はゼロではないような気がする。勿論、現在では憶測に過ぎないのだが、私は人間の可能性に期待している。
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