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私達は日頃何気なく使っている「言葉」の意味を考えてたいないだろう。それは私達が会話を主体として表現手段として使ってきた種族だからではないだろうか。

「ち」と言えば、幾つかの漢字がある。「血、地、霊」などですが、「父、乳」もその系列でしょう。
それにはある共通した意味が見られます。
文字を持たなかった古代人は、どうやらあの赤い「血」をすべての生命の根源として考えていた節がある。
何故私が、「赤い」と書いたのかは、会話を主体とする種族はまた、連想が其の延長行なわれるからでもあります。ここではそれが主ではないので、敷衍は遠慮します。

今、私は「父」と「血」について話そうと思います。
「父」は一見、「血」とは関係がないように思われますが、古代人は父と母との性交で「子」が生まれることに注目したと思います。その初めが「精子」なのは素朴に考えたのではないでしょうか。現代医学はそれが「血」ときっても切れない関係なのは言うまでもないでしょう。古代人は直感でそれが「血」と関係があるのを知ったと思われます。
「父」が、「血」と関係があると思われるのは、そんな所からではないかと思います。
「血」が命に関わる言葉である事は、多くの「言葉」に派生します。「地・霊・知」などもそうですが、「乳」や「産霊(ムスビ)」もそこから派生したと思われます。
そう考えると、私達は色々の「言葉」が意味が鮮明になると共に、連想が次々に現れることは本当に興味がたいことである。


余談になりますが、確か、町田宗鳳氏の「山の霊力」だったと思いますが、面白い文章があるので紹介したいと思います。

<原初の生命体>である山は、まず産む力を限りなく持っていた。それは途方もない性欲を持ち、立て続けに孕み、そして、次々と子を産み落しても疲れない強靭な母体のようなものである。

山のたおやかな膨らみは、妊婦の膨らみである、とある。

私は山が、水を生み、川となり、森を育み、樹木を草を生み、動物を生成するのを知っている。そして、「甑立て」と言われるように「山」は蛇に象徴されるように蛇と山は同体であり、それが「妊婦」に譬えられるのは、強ち謂われがないわけではないいだろう。
古代語で蛇は「ハハ」と言い、それが山容に関り、蛇に譬えられは、それが妊婦と関係ずけられることとも無関係ではないだろう。(そこに血が関わるのは言うまでもない)

氏神を産土神とも言う。その土地の神であるのだが、私はそれは古事記の「黄泉戸喫い」はその土地の食べ物を食した者と言う意味にあると思っている。「土地・とち」は「血」に関わるのだが、それはその土地の食べ物が血となり肉となることに起因している。地産地消とは謂いえて妙であるが、意味は深い。

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