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私はトロイの発見者・シュ一リマンの「神話は史実の裏付けがある」と言う信念に協賛している。
全くの素人である私が5年前から、神武東征に取り組み、その始原が天孫降臨にあるという結論に達した。

降臨は場の移動をその本質である。当然、政治的には侵略という事実に行き当たり、先住民と渡来民との確執が争点になると思う。
当然のことだが、歴史は勝者が創り出す。その主張が残されるのは自明の事だが、大事なのは取り込まれる敗者の情況である。特に、古代史は日本独特の「融和」の論理がその背景にあって、敗者の意向がその底で脈々として流れるという特殊事情が存在する。原日本人は、当然ながら縄文人であり、文字を持たなかった。一万年に及ぶ会話の世界の習性は完全にDNAに刻み込まれ、容易に放ち難い思考形態を沁み込ませているはずである。
古代の渡来民族が先住の日本人(私は、和人と思っている)の文化を駆逐してのは、渡来民族の文化(稲作と金属文化)が先住民族の文化を上回っていた事が主因であると思う。また、それが既成の事実ではある。しかし、重要なのは「和人」が「融和」の哲学を秘めていたからこそ、単純な征服が成立していない情況がそこにはあるのです。
天孫降臨以降、古代史は「先住和人」がその知恵で自らの存続を「母系」に託して完全制覇を免れている。裏で生き残りを策する「和人」独特の悲哀を私は古代史から学び、現代にいも及ぶ日本人の性癖がこの頃より存在していたのを知り、私は影で生き延びる「和人」の精神的情況を解明しようと走り出したわけですが、如何せん、文字を持たなかった「和人」の悲しさで、それを表で残す「術」を知らないのです。

「和人」(縄文人)を研究する学者の少ないことは、その文献が残されなかった事に起因しているのでしょうが、「和人」の追及こそが歴史の本質に迫る主因のような気がします。
大体、既存の学者はその西洋が教えた「科学主義」・帰納法が手段の哀しさで、具体的な物証が手がかりで論理をすすめます。それは世界の趨勢なのだから仕方がないと言えば仕方がないのですが、私は「創造的仮説」の提起こそ科学を推進する手段として有効な武器をして重要だと考えます。

今、私が学ぶ多くは、「和人」の始原を他国に求めます。しかし、重要なのは「母系」で生き延びなければならなかった「古代和人」の正体の追及こそが課題だと思います。
縄文先住民の追及こそ当面の課題ではないのでしょうか。
私は今、渡来人が先住民族と交流する薩摩の野間半島の安曇・久米・曾族(隼人)の関係を調べていますが、それらの出自の曖昧さに戸惑っています。つまり「天孫降臨」の本質と史実が混交して、明らかではないことの情況を苦慮しているのです。「母系継承」の苦肉の策である「和人」の追及は、思考と言う非具体性ゆえの曖昧性が行く手を阻み、進行を遅らせています。
最早、遅れてきた老人はその命を間近にして、焦りにも似た後悔にも似た複雑な心境でいたたまれません。しかし、知ってしまった事実は罪深い。進むしかその方法を知りません。
生きているうちに「神武天皇」は大和に辿りつけるのでしょうか。
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