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私は「天孫降臨」を<あま>の垂直思考と考え、渡来を水平思考と考える。それは8世紀の段階では現在のように「考古学」は存在していない代わりに並外れた記憶力や伝承力があったと思う。

しかし、それらの伝承は物証がない。そこで史実と思われる事柄を「神話」という形で表現し、「史実」は水平思考として浮きあがらせる。8世紀の識者は「風土記」の古老の伝承や文字を持たない巫女の「天語り」や「神語り」を熟知していて、「神話」と言う形で記録したのではないかと言う「仮説」を提示したい。

「古事記」の<序>で稗田阿礼をわざわざ伝承者として載せた意味は太古の記憶の伝承者の象徴として提示したとおもわれる。
ベルツナ一クの「黄色い葉の精霊」でインドネシアの苗族の首長の資格は動物と等しい習癖の体得と夥しい古来からの伝承を記憶しなければその地位を得られないと言う。著者はその記憶力の膨大さには脅威的だと記している。

多分、漢文を使用できない会話の巫女の記憶力や霊感は太古の情況を蓄積している精霊とも思われる能力を所有していたと思われる。
太安麻呂は職掌(伴)としては百歌女を統括した「大歌所」の管轄者であり、多くの伝承者としての巫女の太古のおとぎ話をも知っていたとしても不思議ではない。薩摩の「曾族」や「隼人」の伝承を知っていたのだろう。それは「海・山幸彦」に現れているように、隼人の伝承を表現できたのであろう。
元々、海幸彦が溺れる様子は、海人族・隼人の「海神」との呪術的な行為であったと言われる。
当然その素源は熟知していていただろう。それはニニギ命との阿多津姫の通婚が暗黙にその情報が阿田の地である野間半島を舞台に設定している事からも納得がゆく。隼人が天孫と同族なのは常識から推察すれば不自然だと思われるのに敢えて、「神話」として記述しているは、ある学者の説くように創作だと言い切るには説明が不自然であろう。
「古事記」の編者は太古の情報を伝え聞いていたが論証が不可能なのを判断して「神話」と言う形で表現したとも考えられる。

大隅地方の曾(旧桑原郡、現国分市)の地に縄文草創期に在った「上野原遺跡」から笠沙(野間半島の現加世田市)にある「かこいノ原遺跡」に移行しているが、この遺跡も縄文草創期にあたり、海人族の主要用具である丸木船製作の丸ノミ式石斧が出土している事実が私には単なる偶然とは思えない。古代では現代の「考古学」に相当する手段は存在していると考えられるの不可能な考え方ではないと思う。
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