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世界には人類の創生を洪水神話に求めることが多い。田中勝也氏の「古代史言論」を読んでいて、田中氏「和」の洪水神話を「国産み」に求め、その始原が「辰」に起因していると述べている。江南の洪水神話に求めるのが通説ですが、私は予てからどうも腑に落ちなかった。

確かに神話の「国産み」はイザナミ・イザナギに供するが、何故かとってつけた記述のような気がしていた

俄に、薩摩に於ける3度の大噴火が私の頭の中を駆け巡った。日頃から、薩摩こそ神話の始点を疑わない私は「天孫降臨神話」を史実の象徴と思い続けていたからであろうか、日向の高千穂の曾(襲)を霧島山に求め、笠沙でコノハナヤサクヤ姫ともニニギ命との通婚がその底流で火山が潜在的に現れていたのではないかと閃いた。
そういえば、コノハナヤサクヤ姫の父は大山祇神でその神はニニギにイワナガ姫をも嫁がしている。
この神話は生命神話と語られるが、私の勝手な創造は大山祇が霧島山の神でイワナガ姫はその火山岩の象徴だと想像した。予てから、コノハナヤサクヤ姫の父が山の神の神なのかの合理性を訝っていた。その根拠が不明なのである。

そういえば、神話は「山の民」がその勢力をもつ。ヒコホホデミ命は、山幸彦である。そして、その誕生は火に囲まれた「ムロ」で出生する。つまり、火の神なのである。神話は明らかに、火神をその王家の始祖に置いている。

薩摩は3度において、火山の大噴火に見舞われている。火山の脅威こそ最大の神の象徴だという観念が底流にあると考えても支障はないであろう。

かねてから、私は母系に「和」の始祖源流とみなしていているのだが、如何せんどちらかといえば、母系は敗者の存在を意味し、世界の征服説話ほど極端ではないのが幸いだが、勝者の「古事記」や「日本書紀」の表の神話や説話は文献として残っているが、母系の先住民族の話は底に追いやられている。
しかし、融和の地「和」は多神が幸いし、全ての「神」は死に絶えてはいなかった。表の「神」の影で密か息をしていた。表の神々はその祟りのためだろうか、心の片隅で滅した神々を意識する。

例えば、蛭子神話は女権を父権の駆逐であろうが、蛭子は死ぬことなく流されるは蛭子を縄文意識の母権の象徴と考えますが、その象徴は「土偶女神」であろうと推察しています。あの恐ろしい形相は地獄の山婆と見間違うがイザナミ神は蛭子の祖神のような気がする。雷に囲まれたイザナミは地獄の火の女神なのだろうか。デ一ィモン「イザナミ」は土偶そのものではないだろうか。
蛭子神話は母系の征服の象徴として私は理解し、黄泉一土偶一イザナミ一蛭子はその系譜であろう。




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