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2011.06.04 再び神武東征
安曇氏と神武東征の経緯に行きつまり、鹿児島の遺跡の検証もままなりません。
そこで、まずは復習です。
神武東征の初めは宇佐です。私は宇佐こそ南九州系王朝と北九州系王朝の接点だと理解しています。
神武帝はこの地で宇佐津彦と宇佐津姫の饗応を受けます。これは宇佐集団の日向王朝への服従を意味すると考えます。後に、宇佐は宇佐八幡宮が主要な信仰形態として存在します。
そこで重要なのは宇佐が香春神社と英彦山神社との関わりを持つことです。両者に共通の祭神は天忍穂耳命です。特に、英彦山神社はその濫觴である源水が英彦川として集まり、遠賀川へと合流します。遠賀川の河口は芦屋と言えるでしょう。
芦屋は北九州の要地で宗像神社と志香海神社そして高良大社を結ぶ要(かなめ)なのです。高良大社は祭神を高良玉垂命として物部氏が氏子の神社です。一説には高良玉垂命はニギハヤヒ命とされています。このことは非常に重要なことで、物部氏とニギハヤヒ命の大和東征の根拠となるものです。
宗像海人族とニギハヤヒ命は新羅との関わりも強く、私の北九州系王朝(朝鮮渡来系族と北九州先住民族との混血種族)の根拠の一つでもあります。
つまり、宇佐から岡湊(芦屋)への神武帝の軌跡は重要な行動として位置ずけられるのです。これは綿密に計算された行動なのです。



<物部氏の職掌>

太古、森羅万象の中に霊魂(アニマ)を見出していた時代、植物も岩石もよく言葉を話した。夜は炎のようにざわめき立ち、昼はまるでサバエなす騒ぎが混沌とする世界であった。
この「物」を鎮める(しずめる)技術を持っていたのが物部氏である。物部氏は金属の利器を用いて、他者を害する邪霊を祓い、麻糸を輪に結んで、遊離魂を体内の中府に鎮める。呪い(まじいない)の儀式を行った。
「古事記」の崇神天皇の条(くだり)によると、疫病の流行による災害を逃れるため大物主神社を祀ったと、言う。

アニミズムの時代は縄文紀である。それは物部氏が先住民族の可能性を示してる。一説には物部氏は渡来民族との説がありますが、私は「物部」の物に注目して、先住民族の仮説をとります。
「物」は荒魂に属し、森羅万象の象徴と解釈していいと思います。

<船>

空船(うつぼぶね)は大隈正八幡宮縁起に現れるが、二ギハヤヒ命は天磐船で河内へ降臨する。ヒルコは鳥磐楠船で流される。真床追衾もまた、絹の布船と言えなくもない。
「記・紀」の神話には船が付きものである。これは「記・紀」の伝承者が海人族である証左であろう。

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