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2014.09.11 近況雑感。
確かに私は古代史については素人であり、浅学の徒でもある。

だからこそ、素直な目で見ると言う長所もある。既成の学者は実証主義で文献や考古資料により判断する。かなり正確に検証を重ねることは流石、専門家と驚嘆せざるを得ない。
しかし、如何せん記録に残るのは勝者の記録である。つまり一面的なのだ。物事の真実の多くは正と反の総体にある。勝者の裏に敗者がいてその論理も大切な一面だと言える。欧米のように勝者が絶対で敗者は滅亡する。精神論理から言えば、一神教が首位を占め、論理は応おうにして合理的だ。
しかし、日本の場合、事情は複雑だ。敗者は徹底的に滅亡する訳ではなく、生き残りと言うより融合と言う形で裏で生き残る。
だからこそ、単に勝者の記録だけでは不足なのだ。例えば、初期南九州の王朝で言えば、父系が優勢種族である事に違いないが、征服される側(応々にして先住民であるが)はその生き残りをかけて母系でその血や思考を存続させようとする。ニニギ命の皇后は吾田津姫(父は大山祇命である)は明らかに曾族(大和の名称では隼人)である。「古事記」をよく読めば、ニニギ命と吾田津姫は、対等いや吾田津姫の方に比重がかかっている印象さえ私には感じられる。だからこそ、この母系の論理こそ大事なのだと私は判断するのです。
日本において、口を閉ざす敗者の論理は重要な要因なのであると思う。
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