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神武東征のテ一マの一環でヤタカラスと賀茂氏の関係を調べていますが、「賀茂別雷神社(上賀茂社)」の御阿礼神事の内容から推察して、これらの基層が「山城国風土記・逸文」にあると思われる。

賀茂建角身命は丹波の神野の神伊可古夜姫(かむいかこやひめ)を娶って、玉依日子と玉依姫を産む。玉依姫は石川の瀬見の小川から流れる丹塗矢を広い家に持ち帰り床に置く。すると、玉依姫は別雷神を誕生させる。
建角身命は「山城国風土記」によれば、<八尋殿を造り、八戸の扉をたてて、八腹の酒を醸(か)みて、神集(かにつど)いへ集へて、七日七夜楽遊(うたげ)したまひて、然(しか)して子(別雷神)と語らひて言(の)れたまひしく・・・>とある。そして、命は別雷に神酒を父に振舞えと告げる。すると、<屋の甍(いらか)を分(わ)け穿ちて升(のぼ)りき、建角身命のみ名に因りて、可茂別雷命と名ずける>として、その父を火雷神としている。

尚、火の神・火具土神は、雷神・大山祇神・タカオカミ(水を司る)を生んでいる。

神武天皇は姫蹈鞴伊須気依姫を娶りっているが、その母は丹塗矢に姿を変えた大物主神(言代主神説のある)にまぐわわれ、姫蹈鞴伊須気依姫を出産している。「古事記・日本書紀」の記述と「山城国風土記」は構造的に類似をみる。
私は「記・紀」は「山城国風土記」を踏まえていると考える。

そして、ヤタカラスが賀茂氏の祖とする系譜は、賀茂氏が雷神を祖神としていることは、賀茂氏が火具土神に端を発しているのであるから、「火の神」の父系に属すると言える。
そして、ヤタカラスが中国の神話では、金烏を伝えており、それが太陽の黒点に起因していることから大和の識者はそれに習ってヤタカラスを充てたと思われる。これは一つの寓話であり、賀茂氏が先住民であることの曖昧な表現であろう。

八世紀の識者は深く文献や伝承に長けていて、その象徴を巧みに表現している。その点でも私は「記・紀」を神話・逸話集・文化史書・哲学書などの総合史書として評価する。
その背景には学者や古老、巫女などの古来よりの伝承者の存在が潜んでいて重厚な構成になっていると私は思っている。これは単なる仮説に過ぎないのだが、「記・紀」は皇孫の始を南九州に置いた根拠はそれらの伝承を踏まえた優れた研鑽なのではなかろうかと思っている。あのシラス台地で生産地としてはそぐわない薩摩を始原とする皇孫は不可解きわまる話で、北九州の開けた豪族の多い地域を皇孫の地に設定しないのは私にはそれが史実であったからと推察しようがないと考えさせる。
そして、太古の史実もまた、何らかの方法で八世紀の識者は認識していたと思う。その証左が出来ないために神話と言う形で表現しているのではないかとその後の考古学が語っているような気がする。あくまで推察の域に過ぎないのであるが、驚くほどの類似性に出会うとそう考えさせざるをえない。
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