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李国棟の「日中文化の源流」は興味ある説であるが、少々、正確さに欠くので取り上げにくくはある。

古代中国語では、「三苗」は「三毛」とも言うと説く。「三毛」は正攻法で読めば、三つの毛髪であろう。しかし、例えば「三つ毛人」とも読める。「三」は多いとも判じられる。「毛人」は夷であり、北方の狩猟民族であり、彼等が黄河流域先住していた民族で移住してきた「夏(か)の種族」に滅ぼされて、一部は山岳に逃れ南へと流れ、一部は長江中流域、洞庭湖周辺で居住したと思われる。前二二世紀の気象異常の大洪水で長江流域は崩壊し、住みなれた黄河へと移住したが、先住していた漢人との争いに破れ、再び長江中流域へと帰還する。

その時の神話が「三苗族」のシユウと黄帝の「啄鹿の争」である。
徐朝龍氏の説では、前二二世紀の「三苗国」は律令の施行をされており、築城技術に長け(と言うことは灌漑技術も高度なものであったろう)初期の戦いが優勢であったのは黄帝族より文化度は上位にあったと言う。しかし、西王母の助成で「魃女神」の助太刀で三苗族・シユウ軍を破ったとある。

「苗族」は自らを「シユウ」の後裔だと唱える。
その「苗族」と大和の「倭(和)人」はかなり共通の習俗が重なり、李国棟氏の説では「江南族」は朝鮮半島を経由した「倭族」であると説く。李氏は隼人や南九州への江南族の「倭(和)」との関わりは取り上げてはいない。その点に私は疑問を持つが、何れにせよ、面白く読ませてもらった。
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