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「古事記・日本書紀」には幾つかの単純な類型がある。一つは山の民と海の民の争いである。(山の民が優位にたつ)そして兄弟では兄が悪く、弟が善であるように語られるのである。

例えば、景行天皇の条で、熊襲(曾)征伐で熊曾を撃つ為にその娘を謀略に使う。この事さえ、人倫にもとる行為である。しかし、朝廷側は、姉の市乾鹿文(いちふかや)と市鹿文(いちかや)を騙して利用いようと実行する。姉は父・熊曾梟帥を酔わせて弓の弦を切り謀殺させる。だが、景行天皇はその方法は人倫にもとるといい刑罰に処してしまう。

考えてみれば、可笑しな話でこの謀略こそ人倫に外れているのだ。謀略に汚いきれいはない。用は結果なのであろう。それを奇麗事で済ませる話したとは矛盾も甚だしい。両者の間のモラルは五十歩百歩なのだ。

そして、兄・姉より弟・妹は必ず弟が朝廷に服し、兄は征伐される。海幸・山幸、兄磯城・弟磯城、兄猾・弟狡等である。

山の民の優位性のトップは彦火火出見命(山幸・火折命)であり、兄の火照命(海幸・隼人の祖)は弟に服従させられる。私は神武天皇は山の民(火に関わる山の民・大山祇神の末裔)だと考えている。この天皇も椎根津彦(海の民を従えている)

そもそも、八世紀の皇孫の系譜は渡来系の混血種族(先住民族と渡来民族の混血)であり、海の民の要素の方が濃い。その種族が何故、山の民の優位性を語るのか疑問でならない。神武天皇の系譜はニニギ命以降、山と海の融和で成り立っているように思える。どちらかと言うと、海人族的要素が濃いと思われるのに山の民が優位に立つのは何となくいぶかしく思えてならない。
もう一歩踏み込むと、ニニギ命は吾田津姫(大山祇神の娘)を服従させて、つまり海人族に嫁いだ母系の娘を政略結婚させたのである。ここでは、海の民が山の民を征服しているように思えるのに神話の情況は、明らかに火の民(火山を背に負う山の民)の系譜である。この複雑さは矢張り、古代の日本民族の複雑さを表現したかったのだろうか。未だ私には理解が届かない。
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