上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
出雲・大物主神はこそが、物部氏の始祖でヤマトを建国した饒速日命その人であると原田常治は説くと言う。
饒速日命は北九州から物部氏と伴に大和に東遷したと言うのが通説である。私の知るところでは、新羅からの渡来人であるとするのが通説だと知る。また、高良大社の祭神で物部氏の氏神だと言う。

「日本書紀・崇神天皇紀」には出雲の神宝のくだりで、出雲振根は筑紫に出向していたと記す。この文章は重要で、何故出雲振根は筑紫に行っていたのだろうか、しかも神宝のくだりなのだから呪術的な交流なのだと推察できる。筑紫は物部氏の本願地であり、物部氏はその名称が表わすように呪術的な氏族であるのは明らかである。私は以前から物部氏と出雲は祭祀を通じて交流があるのではないかと疑問を持ってはいた。しかし、それを証左する文献はないので類推するより無かった。
又、出雲には物部神社が岩見に存在し、その由来は、宇摩志麻遅命が大和から美濃、播磨から出雲に行き着きそこで居住したと言う。多分、命(みこと)がくる以前に物部氏が居住していたのかもしれない。そうしたうけ入り状態が存在したからこそ宇摩志麻遅命が祀られたとも言える。

だからこそ、原田説は考えられなくは無かった。しかし、大物主と饒速日命の関係は飛躍に過ぎる。もう少し検証が欲しいと思う。
饒速日命はニニギ命との対照での神話であろうとの推測が私にはあって、北と南の対比や八世紀の王朝の布石であるような読みもあって、出雲と筑紫との交流は興味があるが、原田説まで踏み込めない。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/tb.php/783-b3702a87
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。