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2014.10.12 気軽な空想。
私は所謂「魏志倭人伝」にそれ程の興味が湧かない。重要な文献だとは認めるのだが、現代の歴史学、民俗学、考古学をしても古代の、例えば「邪馬台国」さえも定説として確定できない。中国とは文化的・地理的にも遙か隔たった日本列島(倭国<和国>)を本当に認識は不可能であると言う真理が働いているからであろう。
だから「魏志倭人伝」の専門書は敢えて、避けてきた。浅学も浅学、浅い知識しかもたない。その上での空想なので、気楽な遊び感覚でしかないのである。

例えば、卑弥呼の記述で卑弥呼は大巫女で祭祀で諸国を治めていたとして、そこに男の政治家がいて卑弥呼に政治の方向を願い出てそれに従い多くの豪族を求めていたとする。なにやら、八世紀の持統天皇と藤原不比等との関係を思わせ、神話の天照大神とタカムスビ神又は、スサノウ命の関係を思わせる。そして、卑弥呼が亡くなり、国が乱れる諸国が騒然として暗黒の情況を創り出したという記述は、正に、天岩戸神話を彷彿させ、それから台与の出現は天照大神の顕現を映したような気がした。

勿論空想には違いないが、八世紀の知識人はそのくらいの想像力はあったであろうし、過去の史実的伝承を現実に投影するぐらいの知恵は持っていたに違いない。そんなことを「魏志倭人伝」から想像していた。
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